GOD ONLY KNOWS
花が揺れる。風が滑る。遠くで、かすかな声が耳を打つ。 ベートーベン、春。 あ。バイオリンが弾きたくなった。 春でもないのに。 なぜか穏やかなこの場の空気を肌で感じ、曲が流れたような気がした。ふとした瞬間に意識がよく知る曲に紡がれてしまう。最近では、もう一種の職業病であると開き直っているけれど。 それも、もうしばらくすればなくなっちゃうな。 「待たせたな、・・・・ニコル。」 この場にそぐわない明るい声がかかる。そこには穏やかな表情を浮かべているアスランがいた。 ニコルが答える代わりに微笑んだ瞬間、誰かが後ろからガバリと覆いかぶさってきた。 「ごめんごめん。実はアスランがさぁ、ちんたらして。」 ニコルの肩に腕を回しながら言うラスティは、屈託の無い微笑を浮かべて顔を近づける。 「たぶんな、“あの”報告に時間がかかったんだよ。」 ウィンクをしながらそう告げてくる。・・・・・これだ。 一発で人を引き付ける強烈な魅力。 例えばそう、通りがかりの見ず知らずの他人でさえ彼の笑顔を目にすると、はっとして振り返らずにはいられない・・・そんな魅力。 ラスティはそれを持っている、とニコルはいつも思っていた。 彼は知っているだろうか。その強烈な日の光のような魅力と明るさが、そして相反するように彼が隠していた白い虚無感が、時に白痴のようになるその青い目が。 周りにいる者を、自分を、そしてアスランを、どれだけ救ってきたか。 そしてどれだけ、傷つけてきたか。恐らく後者だけ知っている。 「何の報告ですか?」 明らかに顔を顰めたアスランの横で問うと、アスランの声色を真似たラスティが舞台に立った役者のように告げる。 「“お母ぁさあん、今日は俺の罪を告白しようと思います。”」 「え?」というニコルとは対照的に、アスランはうんざりして「またか」と言わんばかりの冷たい視線を向ける。ラスティはそんなアスランを見て満足げに頷いた。にやりとして、一言。 「“俺は、先日初めてザフトの女子寮に忍び込みまし”」 「してない!してないからな、ニコル!」 「しらばっくれるなよ。俺この目でバッチリと見たもーん。」 明後日の方を見て呑気に口笛を吹かす友人を一瞥し、アスランは冷たく言い放つ。 「そんなバカで無謀な真似するのは、俺達の中でもお前とディアッカだけだ。」 「甘いなあー、ニコルだめだぜこんな嘘に騙されちゃ。こんなに端正な顔立ちしてるやつが、実は一番危ないってよく・・・・っておい!殴ることないだろ!」 「お前ぐらいの実力になれば殴ってもどうってことない。」 「お前さ、自分の言ってることわかってる?」 「一歩間違えばそれ、犯罪だかんな」と、頭部をさするラスティを一瞥し、アスランは目をすっと細めた。 そこでニコルは、あ、そういえばこの展開は、と思った。 この後は大抵アスランが、 「・・・・中間選抜試験、航空飛行学の小テスト。」 はた、とラスティの動きが止まる。 「まだあるぞ。MSの模擬訓練に、」 だんだんと青ざめるラスティなどお構いなしに、「そして、」とアスランは冷静に続ける。 「極めつけはこの前の、」 ・・・・そして、この後は大抵ラスティが。 「すみません!ごめんなさい!全部嘘!俺が悪かった!!」 「・・・・行くぞ。」 冷たく言い放つ横顔には、どこか兄のような優しさを帯びていた。 彼は、アスランは知っているだろうか。ラスティと知り合うようになってから、彼の瞳がやわらかくなったことを。付き合いの一番長い自分が願っていたそれを、ラスティはするりと、風が吹くように成し遂げてしまったことを。それは自分にもっていなかったものを持ち合わせていたからだと、ニコルは思っている。 そう、あの強烈な魅力と白い虚無。自分はそれを持ち得なかったし、虚無感を表面に出すまでに至る過程を知らない。アスランは知っているようだった。 いつか、僕にも話してくれるだろうか。 「・・・・ァアースラーン!」 再度、その場にそぐわない怒鳴り声が後方から響く。 「きさま!いつまで油売ってるつもりだ!いい加減に帰ってこい!!!」 声の先には、イザーク。アスランが持ち得なかったものを持っている、もう一人の人間だ。 彼の持つ魅力はラスティのそれと似ているが、一方で全く違う。ラスティの魅力がその強烈な笑顔とするならば、イザークの持つものは目には見えない強烈な「印象」だ。 どちらも「強さ」を携えた魅力なのだが、ラスティの笑顔に対し、イザークは強烈な品の良さの上にのみ成り立つ、何も恐れないかのような堂々としたもの。人の上に立つ人間の中でも、まれに見る生まれながらの魅力だ。 「貴様が遅すぎるせいで出航に遅れた、なんてことになったら許さんぞ!!!!」 その品位のある声のボリュームを少しだけ落としてくれると嬉しいんだけどなぁ、というのはニコルのささやかな願いだ。今度は、至極冷静な表情をしたアスランが反撃に出る。 「時間通りに帰って来ただろう。時計も読めなくなったのか、君は。」 「俺はな、何事も時間より前に済ませておかないと気がすまないタチなんだ!貴様と違ってな!」 「もう時間だな。そろそろ行くぞ。」 「アスラン貴様っ、人の話は最後まで聞けと習わなかったのか!!」 「時間に遅れるから行くぞと言っただけだ。それともさっき言ったことは嘘か?」 「なんだと!?」 「たしか、何事も時間より前に済ませておかないと気がすまないタチなんだったよな?」 今は激しい火花を散らせる二人を眺めて、自分のささやかな願いは当分叶いっこないな、とニコルは苦笑する。でも、彼も・・・・イザークもアスランを、自分を、そして周りの人間を無意識の内に救ってきた。 もちろん、傷つけてもきた。恐らく彼は、それを知らない。 だが、ラスティにせよイザークにせよ、強烈な魅力を持つ人間は一方で人を救い、また一方で人を殺すのだ。 そんなことを考えていると、また異なる声が墓地に響いた。 「とにかくさ、早いとこ戻ろうぜ。」 呑気な声が届けられる。ディアッカだ。 時々、彼が最も全うなのではないかと、ニコルは思う。自分達の中では一番優しい、それでいて冷静だ。ひねくれた口を叩くことはあるにせよ、それも自分の優しさを隠すためにわざと言っているのではないかと、ニコルは思っている。それだけ、彼は優しいのだ。 死んでも後悔なんてしないだろう。 そう言って死んでいった人間は、目の前に広がる広大な土地に眠る人々の中に、一体何人いるのだろうか。 だが、今なら少しだけわかる気がする。そう思い、ニコルは少しだけ微笑んだ。 彼らの親など、過去など知らない。けれど彼らには生きていて欲しい。そして、共に生きたい。 願わくば、今の自分たちの活躍や上司や任務を肴にして酒を飲み交わすようになるまで、共に懐かしむような年齢になるまで。 きっと、きっと数十年後。 この四人はウィスキーでも飲みながら昔を懐かしみ、その傍らで自分はピアノを弾いているのだ。 その時は、ベートーベンではなく。・・・・そうだ、ジャズなんていいかもしれない。 ゆったりとした暗闇の中で、共にウィスキーを飲みながらジャズを弾く。 四人の老人の穏やかな笑顔を、強烈な魅力を、叫ぶような大きな声を、そして優しさと悲しさと、青臭さに溢れた昔話をバックに。 「ニコルっ、何してる?さっさと行くぞ!!」 「・・・って、言ってるから行こうぜ。」 「ニーコールーっ行こうぜー!」 「ニコル、行こうか。」 ニコルの目の前には、はっきりと思い浮かんでいた。 振り返って自分を呼ぶ、四人の若い兵士が。 そして、自分が奏でるピアノのまわりで、茶化すようにウィスキーを飲んでいる、四人の老人のしわくちゃな笑顔が。 ジャスの曲名?それは、きっと神のみぞ知る。
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