この世の美しいもの、すべて




迫ってきた壁の破片を目にした時、これが自分の最期だと思いました。
そう。
時の流れを止めることができないように、わたしの運命もまた、変えることができないのでしょうね。
でも・・・・どうか届いて欲しい。
わたしの大切な、愛する2人へ。




それは、一瞬だったという。
白亜の閃光が瞬いたかと思うと、まず中核に打ち込まれた衝撃によって空気調節口が破損。狂ったように吐き出された酸素は、その勢いで都市部をも道連れにしつつ上昇。砕けて宇宙の塵となったと。
その間、わずか数秒にも満たないものだったと。

それを聞いて、少しだけ安堵した自分をひどく鮮明に覚えている。
どうせ死ぬなら恐怖や憎悪を思い浮かべる前に、わけがわからないうちに、昇華するほうが遥かにマシだと思ったから。
母にとって、そのほうがマシだったと、思いたかったから。
母が苦しみ悶え、自らの運命を呪いながら死んでいっただなんて、思いたくなかったから。
これは俺の、単なる自己満足に過ぎない。


『ひどい』


その後父が家に帰ってきたのは、たった5分だけだった。
帰ってくるなり、俺は詰め寄った。
『どうして』
と。
理解できなかったんだ、混乱していたんだ、きっと。
父に聞いても答えが返ってこないことぐらい、わかっていたはずなのに。
よりによって、よりによって父に詰め寄ってしまった。
俺が父に向かって叫んだのも、父が俺に向かって叫んだのも、それが初めてだったように思う。
お互い2度目は、あの執務室でだったけれど。 だが俺が父の涙を見たのは、それが最初で最後だった。

『・・・・・』

無言だった父の手が動き、突然壁に叩きつけられた。
それだけだった。
叩きつけられた事実よりも、父の涙を間近に見た事で呆気に取られた俺は、ずるずると壁をつたってその場へ座り込んだ。 父はすぐにまた行政区へと向かっていった。座り込んでいる俺には、見向きもしなかった。


『ひどい』


しばらくして、ぽつりとその言葉だけが頭に浮かんだ。
ひどい。ひどいじゃないですか、母上。
なんで父上を置いて逝ったんですか。なんであの父上を。 誰よりも強い父上をあんな姿にして。泣かせて。 なんで、なんであの人を一人にしてしまったんですか。 母上ならばわかっていたはずでしょう?
父を一人に、しないでください。

『ひどすぎる』

なんで一人にしたんですか。何で勝手に逝くんですか。
・・・・あなただけ。あなただけだったのに。
父が微笑むことができるのも、父に帰ってくる場所があったのも、すべてあなたがいたから。
あなたが、父の隣にいつもいたから。そうでしょう?
なにもかもあなたが与えておいて、それなのに勝手に一人でほったらかしていくなんて。
それを俺に?無理です。俺にはできません。
父上と俺は違うように、あなたと俺も違うんです。
わかっているでしょう?あなたじゃないとダメなんです。だから母上。
ウソだと言ってください。うそですよね、絶対に戻ってきますよね。
母上が、父上を一人にするわけがありませんよね。



風に髪を攫われる。
ゆっくりと、不規則なようでいて規則的な、なおかつ穏やかなそれ。
あなたのいる場所でも、穏やかな風は吹いていますか。
・・・・俺の声は、届いていますか?
空を仰ぐ。そのままゆっくり視線を下げ手向けた花を見ると、もう一度凪ぐように風が吹いた。
白い花が、ゆれる。

今、俺は父上と同じ機関に属しています。
父上はより厳しく、より忙しくなっているみたいです。
そして父上は、多くの人に尊敬されているようです。
もちろんです。俺も尊敬していますよ。
でも、ちょっと休めと言ってあげてください。父上の体がもちませんから。

・・・・もう少しです。

もう少し俺が戦場で成果を挙げて、父上の補佐ができるほどになれば。
もう少し俺が位を上がり、そうして、父上の横に立てる日がくるならば。
父上の手助けができるようになったならば。
そのときは。
よろこんで、くれますよね。母上。



「アースラン!!」



場違いな明るい声と共に、見慣れた人物がアスランに駆け寄る。
「ラスティ。お前、もういいのか?」
「それはこっちのセリフ。お前は?」
「俺は、もういい」
そういって、再度目を墓標に向ける。

「レノアさん、だったっけ」

ぽつりとつぶやかれた言葉に、反射的に横の友人を見る。
変なところで記憶力のいいこの友人には、日々驚かされ続けている。
そう。「血のバレンタイン」。 あの事件さえ起きなければ。
自分にもこの友人にも、今とは違う未来があったのだろう。
だが、あの事件がなければこの友人とは出会うことはなかった。
実に、皮肉だ。

「綺麗な人、だったんだろうな。イザークのお母さんみたいに」

そう言う横顔は、ゆっくりと下がり始めた夕日に隠れて表情がつかめなかった。
彼はどう思うのだろう。どう思ったのだろう。 死んでしまった母に対して、母の墓標の前で。

「あ、イザークで思い出した」

ぽん、と手を叩いたラスティは、それまで眺めていた墓標から目を逸らしアスランを見る。

「イザークが、早くしないと置いていくってさ!」
「それを先に言え」

イザークに急かされて走ってきたであろうニコルが、「そろそろ行きましょう、2人とも」と笑顔で促したのを最後に、2人はその場を後にした。




時の流れを止めることができないように。
私の死もまた、止めることができないのでしょう。
でも、どうか届いて欲しい。
この世の美しいもの、すべてを差し置いて、私の側にいてくれた2人に。
どうかきっと、ずっと。

風は吹く。届いている。
あなたの声は、聞こえていると。









[初出 2007.3.16]