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「アイスティーと本日のケーキ。あちらの女性へ」

視線の先へと振り返る。テラス席に座る赤い髪を視界の端にとどめたまま、カウンターに預けていた背中を起こした。皿とグラスをお盆の上に乗せるとカチャカチャと個気味のよい音がする。視線を上げると同僚の一人がニヤニヤして言った。

「お前、ラッキーだったな。」
「は?」
「とぼけんな、彼女だよ。あんな“超”、がつくほどの美人を近くで拝見できんだぜ。ラッキーだろうが。」

再度振り返って、適当に頷く。テラスに座っている女性客のことを指しているのだろう。確かに彼女は美人だった。目が覚めるような赤色の髪にはやわらかなウェーブがかかり、時折風になびく姿はいつまでも眺めたくなるほど優雅だ。けれど、その優雅さや上品さの中にプライドの高さが見え隠れする。はっきり言って、自分のタイプではない。「確かに美人だな。」と皮肉をこめる。

「けど。綺麗なバラには何とやらだ。惚れた男は苦労するぜ。」
「ははは。確かに一理あるな。なんせお前の元カノ、美人だったし?」
「もうその話はナシだ。」

話を切り、お盆を手に取った。
話題の渦中にいる女性が注文した、アイスティーとシフォンケーキを届けるために。







本日のケーキ;レモン風味のシフォンケーキ アイスティーと一緒にどうぞ。

店先の小さなメニューボードを一瞥し、足をぶつけない様にテラス席のテーブルを掻き分ける。彼は幾分、いやかなり慌てていた。

「おまたせ。」

が、声をかけるも、眼下の彼女は何も言わずペーパーバックのページをめくっている。

(・・・・無視。)

軽くため息をついて、対抗するように無言で椅子を引いた。怒りは「かなり酷い」レベルに到達、か。憂鬱な気分で腰を下ろすと、後ろからウエイターが現れた。ミントが乗ったシフォンケーキとアイスティーのグラスを受け取る。この店の“本日のケーキ”。「ありがとう。」

「何かご注文は、ミスター?」
「あー・・・これと同じのを。」

グラスを少し上に上げると、「かしこまりました。」と下がっていく。グラスとプレートを彼女の前に差し出し、ネクタイを緩めたところで足に衝撃が走った。

「っつ・・・!?」

辛うじて大声は出さなかった。が、


(おいおい、蹴るか!?)


開いた口がふさがらない。若い女性が、仮にも足蹴りである。ズボンの下で痣になっているであろう被害箇所をさすりながら彼女のほうを睨むと、なんとまあ、白々しいほど読書にふけっているではないか。信じられない、本当に君は若い女性か、と頭の中で悪態をついていると、まるで心を読んだかのようにぴしゃりとペーパーバックの本が閉じられた。そして、

「足蹴りひとつぐらいで、すむと思ってる?」

悠々とした口調とは反対の鋭い双眸に睨み付けられた。
ははは、と意味のない笑みを浮かべながら、二週間ぶりの再会がこれじゃあんまりだろ。と本日二度目の悪態をつく。けれど次の声を聞いた瞬間、耳を塞ぎたくなった。

「・・・いつよ?」

きっかり三秒後。

「・・・・は?」
「あなたがロンドンを発ったのは、いつかって聞いてるの!」
「たしか二週間、前・・・」
「ええそう、二週間前よ!?つまり二週間会ってないのよ!?」
「ああ。単純計算でそうなるな」
「それなのに・・・」
「それなのに?」
「二週間ぶりの再会だって言うのに!二時間も遅刻ってどういうことよ!?」

テーブルの上に拳を激しく叩きつける。目の前でケーキ皿とグラスが一センチほど浮いた。(と思う。)恐る恐る弁明を試みる。

「飛行機が、」
「遅れたの。ふーんへーえ。でも連絡しなかったわよね!?」
「連絡しようとしたんだ、けど」
「ロビーが混雑してたんでしょ。」
「ああ。だから急いで近くのホテルまで行ったんだけど、」
「ホテルのロビーも混雑してたんでしょ!?」
「ああ・・・・で、混雑してる間にフライト時間になって」
「しょうがないから連絡もなしに搭乗した!」
「すごいな。連絡もなしに、わかるのか。」
「そういう問題じゃないわよ!わたしが、わたしがどれだけ・・・!!」
「謝るよ。ごめん、フレイ」

黙って立ち去ろうと思っていたけれど、二週間ぶりに名前を呼ばれて無意識にも心が弾むのをフレイは自覚した。
実は昔から、ずっと思っている。彼が自分の名前を呼ぶときの声には、何か特別な力が宿っているのだ、と。
すねるように顔を背けたフレイを見て、にやりと笑った目の前の彼は優しい表情になった。

「機嫌、よくなったみたいだな。」
「良くなってない!最悪よ、最悪っ。あーもう最悪!」
「はは、じゃあ最悪なフレイさんに幸せな情報をひとつプレゼントしよう。向こうの通りにいいジェラート屋があるらしい。後で行ってみないか?」
「また食べ物で釣ろうとしてるじゃない。もういいっ、アスランは黙ってて!」

そう言って、ぶすくれてケーキをつつき始めた。
苦笑しながら、けれど内心ほっとしながら視線をそらすと、強烈な夏の日差しの下、様々な通行人が歩いているのが見えた。ジェラートを片手にウィンドーショッピングをする若い女性、お揃いのサングラスをした老夫婦、風船を持った男の子を肩車する男性、そして頻繁に耳を掠め通り過ぎていく異国の言葉たち。そうか、今はバカンスシーズンだったな、と不意に思い出し、同時に彼女に対して申し訳なさが募った。
仕事で・・・そう、学会があった。ブリュッセルで。二週間前、別れ際に見た彼女は気丈にも微笑んでいた。それが強がりだとわかるほど、彼女のことは知り尽くしていた。その笑顔のままどこかに閉じ込めておけたらどれだけいいだろう。別れ際、そんな気持ちが湧き上がった。だからこそ連れて行かなかった。仕事とプライベートの境界線。はっきり引いておかなければ、歯止めが利かないほど彼女に溺れることはわかりきっていた。
けれど、彼女に寂しい思いをさせてしまった事実は変わりようがなく。


(埋め合わせ、しないとな・・・・。)


ふう、と軽くため息をついたところで、黙々とケーキをつついていた彼女が顔を上げた。
ムッとしている。

「何か喋ってよ。」
「黙れといったのは君だろ。」
「それはさっきでしょ!今は別!」
「はいはい。そうだな・・・・何から話せばいい?」
「うーん・・・やっぱりブリュッセルの話がいいわ。そうだ、グラン・プラスはどうだった?」
「素晴らしかった。そこから続く通りにあるカフェもよかった。フレイもきっと気に入る。」

それから、とりとめのないことについて話した。もともと口下手なアスランがぽつりぽつりと話すブリュッセルは、けれどとても魅力的な街のように思えた。図らずも、ケーキを食べ終わる頃にはすっかり上機嫌になっていたという。

「じゃあ、次のバカンスはブリュッセルで決まりね。」
「はは、君の嫌いな学会も捨てたモンじゃない。」
「ふん、でもやっぱり・・・学会は嫌い。」
「どうして?」
「おしえない。」

素直に疑問をぶつけたはずが、向かいに座る彼女は横の椅子に乗せていた白い唾広の帽子を手に取ると「ごちそうさま。」といきなり立ち上がった。その顔に、常に彼を翻弄する挑戦的な微笑みをのせて。

「行くんでしょ?ジェラート屋さん。」
「・・・あ、ああ。」

ぽかんとしたままのアスランを尻目に、颯爽と通りへと歩き出す。慌てて上着のポケットを探り紙幣を何枚か取り出すとテーブルにバン、と乗せ、彼女の後を追う。去り際、アイスティーを運んできたウエイターがぎょっとするのが目に入ったので、テーブルの上を顎で示した。ケーキとアイスティー二杯分の料金にしてはやや大めだが、食い逃げよりはましだろう。


「やっぱりバラには棘、だな。」


風にあおられ、皿の下でぴらぴらと動く紙幣に同意を求めるように肩をすくめ、ウエイターは呟いた。

ウエイターから見えるのは、早足で進む彼女と駆け足で追いかける彼の背中だ。やがて彼が追いつき、彼女が振り返る。二人はお互いの顔を見てくすくすと笑う。肩を並べて歩き出し、通りの人々の中に紛れて見えなくなるだろう。

テーブルに残ったままのグラスの水滴をふき取ると、ウエイターはテラス席の白いパラソル越しに空を仰いだ。
今日も午後の日差しは強い。



[初出 2009.09.11]




「昼下がりのワルツ」の設定そのままのアスランとフレイ。二人の基本スタイル。
今後、このシリーズの二人の話をがっつり書きたいです。もうそれこそR16くらいのを。(そっち?)