とにかく、手が震えて仕方なかった。

廃墟のような静止した空間で、強引な爆発音が静寂だけを奪い去っている。アスランは市街地からここを目にした瞬間、そんな印象を受けた。
灰色の壁に背中をぴたりと吸い付ける。一呼吸をついたところで、

「いたぞ!」

声のするほうに踊り出てトリガーを放つ。静寂がまた逃げる。鮮やかな鮮血が次々と噴出していく敵兵の体を縫うようにして先へ先へと走る。走る、走る、はしる・・・・。
そしてまた壁に背中を吸い付ける。
手馴れた動作でマシンガンの弾を入れる。右耳につけた無線からは無機質な雑音しか聞こえない。故障か?そう判断する前に耳から外していた。

(・・・・。いらないな。)

ずるずると背中から崩れ落ちるように座った。
背中を壁に預けたまま、外した小型無線、片耳につけるタイプのそれを握り締める。そしてあっけなく前方へ投げた。

「誰だっ!」
(そっちか。)

反応したほうへとマシンガンを構えた。いや、構えようとして果たせなかった。
目の前を、何かがよぎった。
何かのほうに目線を動かす。そしてアスランは息を飲む。どこからか現れた“それ”が、アスランの足元近くで戦場には場違いな美しさを放っていた。そして、

(・・・・しまった!)

そう思ったときには遅かった。目の前には敵の構える銃口。にやりと笑った瞳を凝視しながら必死に手を動かす。マシンガンを構えようとする。だがもう間に合わない。アスランの目の前に突きつけられたトリガーの指が動いた瞬間、ふたたび強引な音が静寂を奪った。






「ふざけるなよ、アスラン。」
「言うなってイザーク。」

ディアッカがそう言うと、スイッチを切る音が脳に響き、もといたバーチャル訓練室の無機質な白い壁が現れた。アイボリーではない。灰色でもない。血の赤色も見えない。今の今まで自分達が存在していた世界。それは全て、コンピュータが作り上げた虚構の世界。

「何を呆けた顔をしている。」

イザークがアスランの前に立つ。そうして未だ椅子に体を下ろしたまま立ち上がろうとしないアスランを、正面から見据えた。そして唐突に胸倉を掴んだ。

「今の貴様に、銃を持つ資格はない。」

そう言い残して、イザークは部屋を出て行った。ディアッカもそれに続く。一連の行動を傍観していたラスティは、ふう、とため息をつきながらゴーグルを外し、まだ呆けているアスランを見やった。

常にアスランに対し嫌味を言うイザークだったが、今日のそれは嫌味ではなかった。
大抵ミッションではアスランが一番先に目的地まで到達する。そして少し遅れてイザーク、後はディアッカやニコルやラスティが三々五々到着し、終了する。それがたとえ、バーチャルであっても実地訓練であってもだ。
だが、今回はまるで違っていた。最終的にはアスランと同じルートで脱出するはずだったラスティが目にしたのは、いつものように余裕を見せて待っているアスランではなく、集合するポイントのすぐ前で呆然と座り込み、四肢を投げ出しているアスランだった。怪我か?そう判断する前に右手が銃を構えていた。アスランに向けて銃を発射する敵兵の心臓をラスティの放った弾丸が貫くまで、アスランは何がなんだか理解できないような顔をしていた。そうしてその横で、“それ”が 舞っていた。
白い蝶。たった一匹の蝶。
ラスティが口を開く前に、それはひらひらと舞って消えた。

「少しだけ、」

ゆっくりとアスランは口を開いた。そうしてゆっくりと、ゴーグルを外した。

「思い出していた。」
「・・・・何を。」
「初めて人を殺したときのことを。」

初めて人を殺したとき。
訓練ではなく、バーチャルでもなく本当にこの手で殺した瞬間。

「とにかく、手が震えてしかたなかったんだ・・・・あの時は。」

が、手が震えてしかたなかった過去の自分を、まるで他人事のように傍観する今の自分がいる。それもまた事実だ。それを飲み込めないようでは、先ほどのイザークではないが、今のこいつに銃を構える資格はない。ラスティは意を決して口を開く。

「なあアスラン。」

その声にアスランは、のろのろと顔を上げる。


「お前のその優しさは、いつかお前や仲間を殺すぞ。」


それだけ告げて、ラスティは立ち上がった。二、三歩歩いて立ち止まり、顔だけを後方へ向けて「そうなる前に、どうにかしろ。」と突き放すように言った。そしてまた歩き出す。コツコツと、無機質な床に足音が響く。
今回ばかりはその音が、やけに大きく聞こえた気がした。


「なあラスティ。」


部屋を出て行こうとしたラスティは、その声に振り返った。未だ呆けたような顔をしているアスランの姿を目にとどめたまま立ち尽くす。


「これから、俺達はどれだけの人間を殺すんだろうな。」


浅く笑い、アスランは右手を握り締める。
今もあの蝶は、あの世界の中で漂っているのだろうか。
あんな風に舞う蝶を、果たして俺は殺せるのか。
答えは、未だに出ていない。





※Butterfly Effect・・・・初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらすこと。
[初出 2009.02.19]