土方は縁側に座っていたいた。何をするでもなく、ただ庭を見ていた。
正確に言えば、目の前のそれは庭、と形容するに値するものではない。
数本の侘しい木が植わっているだけである。
加えて言うならば、木々の下に小奇麗な椿がある。冬に赤い花を咲かせるのだと知ったのは、去年。
が、今は咲いていない。それは季節によった。
今は、雨。梅雨時である。

「明日は、どうする」
「特に、なにも」
「そうか」

先ほどから、このような他愛もない言葉のやり取りを繰り返している。
どちらかがぽつりと呟き、もう一方がそれに答える。
しばらくして、二人とも黙る。
そしてまたどちらかが呟く。答える。その繰り返し。
それはある意味で、土方の目の前で落ちている雨粒にも似ていた。
ふと、土方と少し間を空けて正座していたミツバが、あ、と何かを思い出したように呟いた。
視線は庭に向けたまま、土方は続きを促す。

「なんだ」
「町へ、行きませんか」
「・・・今からか」

顔は庭を向いたままの土方の語意は、言葉とは裏腹に優しかった。
少しだけ顔を顰めたものの、本心から嫌だと思ってはいないようだ。
しかしミツバは、何かを言いかけて止まる。
雨が、降っている。
静かに、互いの息遣いすら聞こえるほどに。

「十四郎さん」

その日初めて、ミツバが土方の名前を呼んだ。
振り返った彼の注意は、彼女の手の内に注がれる。
「扇子か」
「ええ」
ミツバの右手には、どこから取り出したのか、扇子が握られていた。
ミツバはくすり、と笑って、土方にそれを差し出す。受け取ってみて、はっとした。

「八寸・・・・鉄扇か」

扇子と言えど、今土方の手にあるそれは年若の女が好くものではない。
色鮮やかではなく、親骨と中骨が黒染であった。親骨に塗りがかけられている様から、安物でないことが窺い知れる。
土方は、今度は露骨に顔を顰めた。
これは列記とした護身用具。しかも、武士がよく好んで持つものだ。なぜ、このようなものを、目の前の彼女が持っているのか。
訳を問うと、悪びれもせずに、くすりと笑ってくれた。
そして笑いながら答えてくれた。数週間前、町で、もらったと言う。
「男か」
「多分、お侍様。」
「どうしてわかる」
「帯刀してたの。後は、淡い髪色。・・・・そう、聡明そうで、それでいて穏やかで。」
「・・・・・・」
「町で、ちょっと助けてもらって。お礼をしなければならないのは私のほうなのに、“女だからと言って呆けていてはだめだ。自分の身は自分で守りなさい”、と。」
「それで鉄扇、か」
フン。
そう吐き捨てて、閉じたままの鉄扇を右肩に担いだ。
「そいつァ、大層なやくざ者で」
視線は、相変わらず庭の雨へ。ミツバは再び、ゆるりと微笑む。
「・・・だから、」
「返さなくてもいいじゃねぇか」
返ってくると思った返事とは異なるそれに、ミツバは少し動揺する。
そんなミツバの心情を知ってか知らずか、土方はミツバのほうに視線を戻して、続けた。
もらったんだろ、お前が。
そして、黙ったまま、閉じていた扇を開いた。鮮やかな金地が、現れる。
しかしそれには見向きもせず、土方はその鉄扇を下から見たり、開き具合を確認したりして玩んでいる。
彼にとっては派手な金地よりも、その構造のほうに興味を引かれたのかもしれなかった。
しかし。
顔は相変わらず、顰めたままだ。
ミツバには、なぜ彼が顔を顰めたままなのか、わからない。
「でも、せめて、お礼に何か。」
「必要ないだろ」
そう言って、土方は立ち上がり、自分が腰を降ろしていた縁側、その障子を、ゆっくりと閉めた。
トン、という音が響いて、室内が少し、暗くなる。
同時に雨音も、小さくなる。篭るような音だ。
その篭る音と同じくらいか細く、しかし強い意志が含まれた声で、土方は呟いた。

「わかってねぇな」

ミツバは、視線に疑問を乗せて土方を見やる。
彼女は畳に腰を下ろしている。自然、土方を見上げる形になる。
しかし、土方は何も言わない。黙って、立っている。
しばし、沈黙が流れる。
再び、土方が言う。手に、開いた扇を持ったままだ。
「わかってねぇな」
と。
何が。
ミツバは、そう、問うつもりで体を浮かせた。その時だった。
パチン、と扇が閉じる音がしたかと思うと、次の瞬間ミツバの視界は反転し、なぜか天井を向いていた。
両肩に、自分ではない何者かの力を感じる。
天井と自分の顔の間に、土方の顔があった。
ああ、と。
ようやく、ミツバは自分の置かれた状況を飲み込むことができた。飲み込むと同時に、目を閉じ、ささやかな抵抗として、顔を背けた。目を閉じる瞬間、投げ捨てられた鉄扇が、畳の上に見えた。
雨が、相変わらず、止まない。

「総悟と近藤さんが帰るまで、あと二日ある」
「・・・・ええ」
「買い物は、明日でいいだろ」
「ええ・・・・でも、」
「でも、なんだ」
「十四郎さん、」
「目、開けろよ」
「・・・・まだ、そんな時間じゃ」
「関係ない」

土方は、どこか楽しんでいるようだった。少なくとも、ミツバにはそう見えた。

「晩、ご飯は」
「後でいい」
「よく、ない・・・・」

そこまで言って、ミツバはついに、口を閉じた。
首に、土方の無骨な手を感じた。と同時に、目の前の男への思慕の情が、そこから全身へ染み渡っていくのを、さめざめと感じていた。
ミツバは、一切の抵抗を放棄した。


雨は、やはり止まらず、その日は一晩中断続的に、落ちていた。
ついに上がったときには、翌日を迎えていたという。




雨と眠り乞い


titled by「Tagtraum」
[初出 2007.12.27]