とにかく、俺とは根本的に違うやつなんだろうなと思っていた。
だから俺は始め彼女が苦手であったし、彼女もまた、俺が苦手であったのだと思う。
今となっては、どうも言い様がないけど。
ただ、当時は誰に聞いても「お前と彼女は違う」と言うし、実際そうなのだろうと思っていた。


「それは違うだろう、トシ」


だから俺は戸惑った。
まさか俺をよく知る人間の一人に、そんな事を言われるとは思ってもみなかった。

「は?」
「だから。俺は違うと思うぞ」
「・・・・・」

一時止めていた手を伸ばして、縁側に置かれた湯飲みをとった。
消えそうな湯気が、目の前の茜色の空に浮かぶほんのわずかな雲のように、白くかすかに浮かんでいた。
俺の好みを知ってか知らずか、彼女が入れた茶は、いつもちょうどいい熱さだった。
俺は、季節がどうだろうが関係ない、入れたての熱い茶を好んで飲んだ。
例えば稽古の後だとか、総悟を送っていったついでだとか、そういう時に彼女が入れてくれる茶は、常に熱めだった。

今日は彼女はいない。弟と、町に出かけている。
だからこの茶は彼女が入れたそれではなく、そして俺の好みに適していなかった。
冷めている。
相手としては、今の季節を考慮した上で、こちらを気遣い、ぬるいそれを出してくれていたのだろうが。
相手の好意がなまじわかっているだけに突っぱねることはできないのだが、それでも自分の好みに即していないものを黙って飲めるほど、この頃の俺の心は広くなかった。
冷めた茶は、好きではなかった。



近藤は、破顔した。

「お前は相変わらず、顔に露骨に表情が出る」

その言葉に、土方は益々顔を顰めた。近藤はそれを見て面白く思ったのか、湯飲みを手に厳しい表情の土方を見るや、良く通る声で笑い始めた。
そしてひとしきり笑ったのち、ふと優しい表情になり、「さっきの話だけどな、トシ」と言った。

「俺は似てると思うよ。お前とミツバ殿。」

土方は冷めた茶をすすりながら、いぶかしげに横に座っている近藤を睨む。
「あ、信用してないだろう。」
土方は顰めていた顔をすこし緩めて返答した。
「そりゃ、まあ」
昔から近藤の言葉には、不思議な説得力があった。
自分の意見を曲げない土方も、しばしば彼の言葉に自身の言葉の危うさを見た。
そう、例えるならこういう時に。

しかし、土方としてはやはり信じられない。
彼女と俺は、似ていない。共通点など、かけらもない。
そうだろう?と、土方は視線で問う。しかし近藤は、面白いものを見ているかのような顔で、いや実際見ているのだろうが、
「そうだな、例えば。」
と続けた。

「我慢ばっかりするところ、だな」
「・・・・俺は我慢なんて、」

そこまで言って、土方は湯飲みをすする。

「してるぞ。トシもミツバ殿も、しすぎなくらい我慢してるな。色々」
「俺はともかく、それはアイツに限り、だろう。昨日だって、」

ゆっくりと置かれる湯飲みとは裏腹に、土方の声は強みを含んでいた。
両手を懐の着物の中で組み、不機嫌そうにそっぽを向く。

「てめぇで稼いだ金で、俺達の昼飯作ったり」
「まぁ、あれは確かに」

常ではあるが、彼女は自分で稼いだ金の中から出る余分を、試衛館の門下生や食客のまかないに充てたがる。曰く、「みなさんの笑顔が見れるだけで嬉しい」らしいが、彼女の家事情を知っている二人からすれば、笑って見過ごすことはできない。
それは、今はここにいない彼女の弟も一緒であろう。

「そんなことに使わねぇで、自分のかんざしとか着物とか買えばいいじゃねぇか」
「ああ。それは俺もそう思う」
「それだけじゃねぇ。この前だって・・・」

と、更に語調を強めた土方が言う。

「てめぇの櫛を盗んだガキのこと、すぐ許しやがって。」
「でも、あれは気づいたトシがそのガキの頭をぶったからだと思うぞ」
「それはどうでもいい。問題はその後だ。あの後、アイツ何したと思う。そのガキに、事もあろうか田楽おごってやったんだぞ!」
「えっ、そうなの?気づかなかった。」
「しかもな、本当はおごった金で自分のかんざし買う予定だったんだぞ!ガキにおごったせいで買えなくなっちまって。・・・・いったいどれだけお人よしなんだよ、アイツは!」
ばかじゃねぇのか。
と、目の前の夕日を睨みながら言った。
もちろん最後の一言は嫌味ではないことくらい、近藤にはわかっている。
わかっているからこそ、こう言わざるを得ない。

「・・・・人を思い遣ることができるところも、似てるな」

と、湯飲みをすすりながら近藤は呟いた。
土方は、わずかに息を止めた。ほんのわずかな間だけだったが。そして、
ばかばかしい。
と言った。

「俺はそんなモン持ち合わせちゃいない。ただ俺は、あいつが」
「ミツバ殿にな、」
土方の言葉をさえぎって、珍しく近藤が言った。
「前、言ったんだ。お前と会う、ずっと前。総悟が俺の道場に入ってしばらくして」
食い入るように、土方は近藤を見つめる。
近藤の顔は、相変わらず穏やかだ。

「『ミツバ殿はすごい。人を思い遣ることなんて、そうそう誰もができるモンじゃない』って」
「・・・・」
「そしたらさ、真面目な顔で『それは違う』って言うんだ」
「・・・・・違う。」
「そう。違うんだと。これは思いやりなんかじゃない。自分がやっているのはエゴだ。誰かのためにやっているんじゃなくて、ただその人のことが好きな自分のために、やっていることなんだと」
「・・・・・・」


そんで、いつもみたいに笑って言うんだ。
『私のエゴ、ちょっとだけ許してくださいね。近藤さん』と。


「・・・・トシ。お前は、どう思う」

そして、ゆるりと前を見た。
空の茜色に混じって、紺色が色を成し始めている。

「もうすぐかな。」
何が、もうすぐなのかはわかっている。
土方は、難しい顔をして言った。
「・・・・アンタは、」
ひと呼吸置く。


「アンタは、俺のエゴだって言うのか。」


近藤は目の覚める心地がした。
普段喜怒哀楽がはっきりしない土方にしては珍しい、困ったような顔を自分に向けているのである。
傍から見ても、その顔は年相応の少年の顔だった。
今にも泣きそうな、苦しそうな顔である。
近藤は驚くと同時に、トシもこんな顔ができるんだな、とぼんやりと思った。
しばし、二人の間に、沈黙が巣食った。
土方の言うエゴが何なのか。
わかっている近藤は、それは違う、と笑って沈黙を飛散させた。
「そうじゃなくてだな・・・なんというか。」
「『なんというか』じゃ、わかんねぇな」
「あーうん。まぁとにかく、似ている二人は、昔っから惹かれあうんだよ」
「・・・・・・・言葉がくさい。」
「照れるなよ、トシ。」
「照れてねぇよ」
「あ、噂をすれば。」
「ただいまッス、近藤さん。それから・・・・アレお前だれだっけ」
「覚えてるくせに何言ってんだてめぇはぁあああ!」
「ただいま。近藤さん、十四郎さん。」
「おう、お帰り。総悟、ミツバ殿。」

茜色と紺色、いつのまにか、紺色のほうが空の大半を占めていた。
星も、わずかに瞬きだしたのかもしれなかった。
夜独特の心地よい風が、縁側を通り過ぎる。

「お二人とも、晩御飯は?」
「いや。実はまだなんですよ」
「ちょうどよかった。今から家で召し上がっていってください。鰻、もらったのよ」
なるほど、粋のいい鰻が手提げの中で動いているらしい。
「姉上、約一名腹を下したそうなので、近藤さんと姉上と僕で蒲焼といきましょう」
「誰がいつ腹を下した」
「いやーありがたい!では馳走になります」

縁側から家に上がり、台所へ向かおうとしていた彼女が、ふと振り返る。
「あ、十四朗さん。これを」
と言って、あるものを土方に手渡した。
「・・・・藤か」
ええ。すごく綺麗だったから、一つもらってきちゃったの。
「この前のお礼です」
そう言って、彼女は微笑んで台所へ引き返していた。

近藤は、至極真剣な顔で土方の顔を凝視した。しかし、目元はしっかり、笑っていた。
「・・・・んだよ」
「いつ買ってあげたんだ?かんざし」
「・・・・・・・・・」
「ほら、照れない」


彼女が動く度、見慣れぬかんざしがシャラリと音を立てている。
重なるように、太鼓の音が遠くで響く。
もうすぐ梅雨も明ける。
ここ武州にも、蒸し暑い夏がやってくる。




エゴと藤と


かんざしについての見解



[初出 2007.12.27]