夕日は落ち、仕事も終了。ネオンの洪水で溺れそうになる街を尻目に、さて家へ帰ろうかという時分。
いつものように警察庁本部に呼ばれた近藤は、いつものように警察庁長官の手によって拉致された。連行先は、言わずもがな。

「いらっしゃいませ、松平様、近藤様。」

特別客間をご用意しております。ご案内致しますので、どうぞこちらへ。
滑るような優雅な口調で案内された二人は、上着を預けゆっくりと腰を下ろした。明度を落とした照明に、ゆるりと流れる音楽。しかしこの店は、一般的に大衆が利用するそれとは全く違う。まず、部屋に近藤・松平の二人以外に誰もいない。そして、部屋をノックし、正装しているボーイがグラスを運んでくる際、あらかじめ店側でそれらを考慮してある。そしてこの部屋、いや建物全体に散りばめられた装飾品の数々が示すものは即ち、訪れることのできる客の「質の違い」である。

しかし、近藤という男には、そういった相違は初めから無いに等しいのではないのか。

そう思わせる何かを、近藤という男は持っていると言えるだろう。松平は、ふと過去の、まだ少しだけ青臭さを漂わせていた頃の近藤の顔を回顧する。江戸へ出てきた当初、それこそこういった待遇や振舞われる酒、店の装飾品などに、近藤はいちいち目を丸くしていた。そうしてしばらくすると、今度はそういった態度は見せぬように気を張り始めた。いかにもこれが今の自分に対する相当のものだ、と言わんばかりに。そういう近藤の顔を見るたび、松平はこの時代の可笑しさと不可思議さを覗いているような心持になったものだ。 が、最近は、その態度が作り物ではなく、まんざらでもないようになってきた。真撰組という組織がそうさせるのか。はたまた、この時代がそうさせるのか。案外、自分がそうさせているのかもしれない。
・・・・・わからねぇ。が、それでいい。松平はそう思いつつ、低く響く音楽に耳を傾けていると、近藤が言った。
とっつあん。もう少ししたら、伊東先生が帰ってくるんだよ、と。

「ああ・・・・アイツか。」

カチリ、と金属質の重厚な重みのあるライターで煙草に火をつけた松平は、「あの、眼鏡の。」と返す。そうそう。と頷いた近藤は、顔をほころばせる。

「伊東先生が合流すれば、今は少し低くなっている事件の検挙率も上がるだろうと、俺は思っているんだ。」

酒はまだ飲んでいない。しかし、饒舌な口ぶりで近藤は続ける。

「伊東先生は、北斗一刀流の師範代を勤めたこともあると言っていた。剣の腕はウチの中でも五本の指に入るくらいだ。」

そう言って近藤は片方の手のひらを見せ、松平でも知っている隊士の名前を、次々と挙げては指を倒していく。
まず、総悟だろ。終に七、もちろんトシも。それに、伊東先生。
そこでやっと酒が運ばれた。松平は、ボーイが出て行くのを待って、ぐい、と一息にあおる。

「それに、あの人の議論はすばらしいんだ。」

近藤は目の前のグラスには目も向けず、再び口を開く。よほど機嫌がいいのだろう、先生が、あの人が、という近藤の目には光がある。心から信じている目でもある。
それでいい。と、松平は再度思った。同時に、話の話題となっている彼の男の顔を、ゆっくりと思い描いた。
伊東鴨太郎、真撰組の「頭脳」。
眼鏡をかけた、整ってはいるが冷たすぎる顔を思い、松平は目を細めた。
確かに野放しにしておくには勿体ない代物を、よく近藤が抱き込んだと思う。
だが、一方で・・・・もう一つの「頭脳」は。

「トシはなんて言ってる。」

すると近藤は一瞬ぽかん、とした顔になった。なんでトシが、とでも言いたげな顔だ。

「・・・・・いや、余計な事だな。」

近藤が口を開く前に、松平は大げさな身振りで遮った。もう一杯、酒をあおる。
伊東、土方。
近藤の指が脳裏をよぎる。


「イヌワシっていう鳥を、知ってるか?」


意図せず、松平は口を開いていた。下を向いているために、近藤には少しくぐもって聞こえただろうが。
「いしばし?叩いて渡るほうの?それとも石場氏?」
「おじさんはなァ、お母さんだからな。」
「はァ?」
「こころのひろ―い、優しいお母さんだからよぉ。」
「意味がわからんぞ、とっつぁん。・・・・もしかして、もう酔っちまったのか?」
起きてくれよ、と近藤は松平の肩をゆする。このあと、スナックすまいるに行くんだろ!とっつぁんの奢りで!んもう、お妙さんが待ってるんだよ、誰だかしらないけど石場氏はいいから、あーもう、とにかくこんなところで寝ないでー!
近藤のでかい声を聞きながら、松平は思った。
近いうちに、こいつらの内部ででかい抗争が起きる。近くなくとも、伊東と土方、どちらかが必ず潰れる。・・・・そうでなくてはならない。
伊東と土方が、年齢はほぼ同様にして同等の実力を携えていることは、松平も気づいていた。ライバル、といえばまだ聞こえがいいが、二人のそれは噛み付くような凶器で成り立っている。
互いの存在を疎んじ、本気で潰そうと、殺そうと思っている。仕事以外で口を聞いているのを見た者は、未だいないと聞いた。
個人的な私情を加えるとすると、確かに土方のほうが付き合いは長い。ある種、目の前にいる近藤と同じように、息子同然に可愛がってきたつもりではある。近藤とは対照的に、出会ったときとなんら変わらない態度。顔つき。反対に、より鋭さを増した双眸と獣同然の嗅覚。土方のそれらを回顧した松平は、何よりそう言った感情を抜きにしても、剣・頭ともに立つ土方を殺すのは惜しい、と次の瞬間には既に私情を完全に消していた。
だが、・・・・だが。
それは伊東も同様だ。近藤が言ったとおり、伊東は北斗一刀流・免許皆伝、おまけに頭が土方並みに切れる。土方と伊東。どちらが残っても損はない。いやむしろ、残るまでの過程が・・・・・・必要なのだ。抗争を乗り越えた組織は力も結束も、以前の数十倍に膨れ上がるという事実。長く警察という場に身を置いてきた自分は、もちろんそれを知っている。・・・・ならば。

真撰組という組織は、より強硬にならなければならない。
これからの動乱の未来を範疇に入れれば、それは必須。
そろそろ限界だ。油売ってる暇はもう、てめぇらには残されていねぇ。
何をのんびりしてやがる。さっさと這い上がって来い・・・・トシ。

「優しいけんどよぉ、」
むくりと上体を起こした松平は、ゆっくりと言う。

(お前達の殺し合いが、)
「楽しみでならねぇよ。」

言いつつ、近藤のほとんど減っていないグラスを手元に引き寄せると、グラスが二個、目の前に並べた。


イヌワシは、一般に巣に卵を二つ産むと言われる。
一つ目の卵が孵化した後しばらくして、二つ目の雛が孵る。すると、二匹のひな鳥はお互いに殺し合いを始める。片方が息絶えるまで、その殺し合いは止まらない。
面白いのは母鳥のほうだ。殺し合いの間、一切の手出しをしない。目の前で殺し合いが起こっているのを、母鳥はゆっくりと黙って傍観しているだけだ。


「ちょ、っちょと、とっつぁん!」と言う近藤の声は聞かず、一つのグラスを床に落とした。黒い床に、瑠璃色の液体と透明なガラスが光って砕ける。砕け散ったそれは、一瞬の後にはただの液体と破片に成り下がった。不気味なほど、まるで色味を帯びていないのだ。


・・・・・・母鳥の役目はたった一つ。死んだほうだけを、巣から突き落とすという事。



「這い上がってきたほうを育ててやる。それがお母さんってもんだろうがよ。」





母の定義




あにたま動乱編によせて。なんというか、私のとっつぁん像はこんなかんじです。
彼は伊東と土方を抑えるだけの力を持ちながらも傍観者として居座っている、食えないおっさんでいてほしい。

[初出 2008.3.17]