暗い暗い、深い深い自分自身の中で、度々対峙してみるのだ。
自分の中に巣食う、何かと。

それにはこういう、暗い世界が似合う。
高杉は立膝に片方の腕をのせ、見下すように舞台を見ていた。

文楽。つまり、人形浄瑠璃である。
暗い室内で、舞台のみが明かりに照らし出され、ぼうっと浮かび上がっていた。
太夫が独特の節で語る。人形がそれに合わせて、カタリカタリと動く。
三味線が鋭く、その場面を演出する。

劇場の戸には満員御礼の文字、平座も上座も下座も、人の息遣いでむっとするほど。
高杉が腰をおろしているのは、一般の客が座る平座よりも高い位置にある。舞台から向かって右側。自然、舞台を見下ろす形になる。
太夫の顔が、ほんの少し強張った。そろそろ、この舞台の見せ場がやってくる。高杉は目を細めた。


誰かは、もう忘れた。
一人は、それでいいと高杉を肯定した。
また、他の誰かは散り際の良くない一人芝居だと、高杉を揶揄した。
そしてまた、ある誰かは悲しい目で見ていた。何も言わずに、ただ見ていただけだった。

女の(確か小春という名だった、)の人形の首がかしげる。
カタン、と音が響いた。
一瞬の静寂が、闇に溶け込んでゆく。

高杉は、この瞬間を、ひどく気に入っていた。

とたんに「火事だ!」という男の声が闇の上を走った。
その声が言い終わらぬうちに、高杉の向かいに設置された特別席である上座から、橙の炎が飛び出した。
高杉はそれを愛おしそうに見つめると、先ほど女に持たせた酒を飲んだ。そして、ゆっくりと味を堪能するように目をつむると、
「いいねぇ」
と、呟いた。
あたりは怒号、女の甲高い悲鳴、そして泣き声にも近いものが全身で悲鳴をあげていた。
しかし皮肉な事に、それら全てが橙色の化け物のような火の、バチリバチリという激しい音に吸い込まれてしまっていた。
その橙の化け物が、高杉の顔をチラチラと舐めるように照らしている。

高杉が目を閉じると、そこには、いた。
まだかまだかと彼を急き立てる何かが。

誰かは忘れた。
一人は、その「何か」を肯定した。
また誰かは、お前はそれに操られているだけだと揶揄した。

・・・・・・否定はしない。実際、まるで操られているようなものなのだ。
その、自分の中に巣食う何かに。
操られているのは自分か、はたまた自分はそれを操っているのか。
どうせどちらかわからないのならば、いっそのこと一つになってしまえ。いや、もとから一つだった。

「総督。」
後方から呼び声がかかる。モギリ係の格好をした男が、「お早く。」と言って手を差し出した。



「もう少し見ていたいがなぁ。残念だ。」



もう一杯酒を飲む。やおら畳の上に足を立てると、高杉は男に続いた。
高杉は、最後にもう一度炎上していく様を一瞥すると、ゆっくりと闇の中へ消えていった。





傀儡師




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[初出 2008.2.2]