墓、というものに対峙するのは、久しぶりのように思う。

目の前に対峙している灰色の石は世間一般に「墓」と認識されているものであり、実に簡素にできている。が、周りを改めて見回すと、無機質な石とは対照的に、意外にも多くのものが溢れ返っていることに気がつく。

青々と茂る木々に、五月蝿く響く蝉たち。少し離れた蛇口の近くには歳を大分とったであろう老夫婦が、入り口近くの墓の前には髪を結った若い女が一人。

だが、耳に蓋でもしたかのように、曖昧でぼんやりとしたこの感覚はなんだろうか。
目の前にある墓石に刻まれた名前が、どうも現実味を帯びないのはなぜだろうか。
ためしに手を伸ばす。これは、現実の光景なのかと。

すると、墓石に触ったとたんに「アチっ!」という無様な声をあげ、すごすごと手を引っ込めざるを得ない自分がそこにいた。
当然だった。残暑の日差しは容赦を知らず、絶えずこの墓石に降り注いでいる。熱い、もう容赦ないほどに熱い。生卵を落としたら目玉焼きが完成、というのは強ち間違ってはいない表現だ。墓石で目玉焼きか、なかなかシュールじゃねぇか。そう掠めた声は遠く消える。

言いようの無いむなしさが、蝉の声によって増幅される。茶化すように頬を撫でた風は、温すぎて少しだけ残っていた気力を奪う。そのまま、土方はしゃがみ込んだ。

墓、というもんに対峙するのは、実は久しぶりじゃなった。
確か数日前に隊士の墓前に立ったはずだ。
そうやって死というものに疎くなっている自身を、常に戒めてきた。
はずだった。が、「はず」はいつまで経ったって「はず」のままだった。


「俺はいつだってそうだ。あん時のまま、ちっとも変わっちゃいなかったな。」


しゃがんだ目線の先にある菓子袋が、目に痛いほど不釣りあいな色合いをしていた。
赤いパッケージに踊る「激辛」の文字。その横には、誰がそなえたのだろうか、これまた赤い蓋の一味の瓶が二本。そして、離れたところにもう一本。
永遠に来ない食べ手を待っている。

ちらりと後方を望む。
さきほどいた夫婦がいなくなっている。入り口にいた女も、どこかに消えてしまっていた。


誰もいなくなった墓前で、土方はゆっくりと立ち上がった。
軽く、ごくわずかな眩暈を覚える。

「お前に、会いたがってた男がいた。」

そうして、とても小さく呟いた。

「色々ほざいてたが。あれ、本当か。」


『忘れられないなら、忘れようとするな。』


だが、その万事屋にどこか似た男。


「高杉、晋助か。」


次に顔を合わせたときは、あの男は始めて会ったかのように振舞うのだろう。
恐らく自分もそうだろう。そして恐らく、どちらかが死ぬ。
あの夜のことはまるで起きなかったかのように。
いや、彼女がいなければ、彼女がまさかあの男に会っていなければ、こんなことは永遠に起き得なかっただろう。・・・・・いやしかし、会っていても起きなかった可能性のほうが格段に高い。だったら、どうして。

そこまで考えを巡らせた後で、ふと馬鹿げた考えが土方の頭に浮かんだ。浮かんだ後に、そういう結論に至った自分も、そしてもしそうだとすると、あの男も大概馬鹿げていることに気づいて苦笑する。

(酔狂者は、お互い様じゃねぇか。)
・・・ミツバ。


「・・・・やっぱりお前は、」


風が吹いた。
先ほどと同じように頬を流れた風だった。が、対する土方は驚いて目を見張る。
だって、それは違っていた。先ほどの風とは明らかに別物。
温い風、うだるような暑さに乗せてむなしさを助長させるそれではない。
今の風に乗せられていたのは、・・・・初秋の匂い。
草の枯れる匂い。沈みゆく日の、武州の、あの日の彩雲の匂いだった。



十四郎さん、この曲の名前はね。「彩雲」っていうの。
彩雲。
そう、彩雲。彩りの雲。消えていく夏の空の、そう、あんな雲。
なんか眩しいな。
でも、とっても綺麗ね。



からからと、音を立てて回る。
他の二本の一味とは、すこし離れて置かれている一味の瓶。その横に、立てかけるように置かれた一本の赤い風車に初めて気がつく。誰が置いていったかわからない、だが力強く回るそれを見て、土方は目を細めた。
置いていったのは総悟か、近藤さんか。ただ単に、祭りで買った風車を子どもが置いていったのかもしれないし、万事屋のあの男が、戯れに置いていったのかもしれない。
いや、案外――――


「ほんとに、とんだ酔狂モンだぜ。」


土方は、暗闇に去っていった男を思い出していた。
憎たらしくほくそ笑みながら去って言ったその男の顔に、過激派攘夷浪士の面影はまるでなかった。それはまるで、落日に消えていく彼女の面影のようだった。






Fin.