言っておきますがそのトイレットペーパー、あんまり紙質がよくないですよ、やめといたほうがいいですって・・・・あーあ、かごに入れちゃった。かわいそうに、家でプラスチックのパッケージを破ってトイレのしかるべき場所に装着して踏ん張った後に後悔するあなたとあなたの御家族の顔が思い浮かびます。ご愁傷様です。じゃあなんで店に置いてあるんだよって、うわあこっちに来っちゃったよお客さん。まぁとりあえず落ち着いてください。どうしてこんなトイレットペーパーをこの店で売っているかっていうことですよね。でもお客さん、俺なんかに聞いたのが間違いってもんです。俺はただのバイトですよ。そんなもん知るわけないじゃないですか。ああもう、怒らないでくださいよ、ほら頭下げてるじゃないですか。つうか、さっきから怒ったり怒ったり怒ったり、ほんと忙しいお客さんですね。とかなんとか言ってたら、ああーどっかに行っちゃったよお客さん。おーい。 ところで江戸市民のみなさん。誰でもいいから、そんなトイレットペーパーなんて買うのはやめて、かわいそうな俺のかわいそうな愚痴を聞いてくれませんか。 「あー君。昼食まだだったよね。休憩とっていいよ。」 「あ、はい。」 江戸の町では、近年のコンビニの台頭によって、スーパーとかいう大型量販店は一挙、経営困難という問題に直面している。それは薄汚い店内と切れかけの照明、バイトの自給の低さ待遇の酷さ、そして店長の穢れた大人度が証明してくれている。 ああ、かくも悲しき格差社会かな。 「あーもう嫌だ。マジで帰りたい。」 昼食であったはずの弁当を膝に乗せ、(もう既に昼食とはいえない時間だ)ここ数週間で自分の昼食スペースとなった裏路地のブロックの上に座った山崎は、ぶつくさ言いつつも携帯電話を取り出した。 同時に、素早く周囲を確認する。大丈夫だと判断しつつ、携帯の短縮ダイアルをコールする。 その間も周囲に神経を集中させたまま。二回の呼び出しコールの後の『俺だ。』という声が、神経の緊張に拍車をかけた。 「定時報告。こちら山崎です。」 『どうだ、そっちは。』 「相変わらず目立った動きはありません。」 そう言った途端に、山崎は心が沈むような感覚に捕らわれた。 (とんだ貧乏くじを引いたなぁ。) 事の始まりは一ヶ月前。この、どこにでもありそうなスーパーに攘夷志士の間者が勤めている、という情報が舞い込んだ。ホストクラブに潜入している吉村、外回りの伊東に随行している篠原といった同僚に変わり、別件が片付いたばかりの山崎が、この件を受け持つことになった。 労働時間ほぼ丸二十四時間というハードな武装集団から一転、朝十時出勤午後三時帰宅という夢のようなバイトの日々。最初は山崎もそう思った。が、仕事は思ったよりも(別の意味で)ハードだった。 とにかく慣れない。ぬるま湯につかっているようなのだ。 監察という仕事は、真撰組という武装集団で目立つ存在ではない。いや、目立つ存在であってはならない。 しかし腐っても真撰組きっての監察方筆頭。山崎は、自身の嗅覚の鋭さは隊内一だと自負している。 が、”スーパーのレジ打ち”というカテゴリーの中では、そういった嗅覚の鋭さは何の役にも立たない。 剣の腕は、使わなければ鈍る。嗅覚も、それは同様だ。 山崎は、それを恐れている。 仮にも潜入操作だ。間者と思われる男を探り当てるまでは、確かに自身の嗅覚をフルに使っていた。 だが、突き止めたはいいがその男、今度は一ミリも動きを見せないと来たのだ。 ここ一ヶ月で山崎が入手した情報は、男の交友関係や家族情報といった基本的な事項のほかに、職場での態度や位置、そして近々この店でなんらかの取引が行われるであろう、という、実に曖昧な情報のみである。 他の情報もあればいいのだが、男は、まるで監察されているのがわかっているかのように、不穏な動きを全く見せない。 動きを見せない。だが、男は確実にクロ。 となると、男が尻尾を出すまで待つしかあるまい。忍耐が物を言う。 だが、そんな生活も既に一ヶ月に突入してくると、さすがに焦りとだらけが出る。同僚の抱える事件が次々と解決を見せる中、一向に動きを見せない間者に、そしてこのぬるま湯のような生活に、いい加減痺れを切らしそうになってきたのもまた、紛れもない事実なのだ。 そんな自分を見透かしているかのように発せられた、『焦るなよ。』という土方の低い声が、急速に山崎の体温を奪った。 自分をバイトの身に貶めた、張本人。彼の言葉を借りるなら、「こんな時期が一番あぶねぇ」ということになるのだろう。 「今日あたり、来ると思いますか。」 確かめるように言った言葉は、しかし、何の感情も含んでいない声で 『さぁな。だかもし、万に一つでも今日だとすると、・・・・・』 この件の担当は山崎である。一ヶ月も敵の働く店に潜入していながら、取引の日程を誤解していたとなると、それは明らかに山崎自身のミスだ。そして、それは自分をこの店に配置した土方の、ひいては真撰組全体のミスとなる。そんなことは許されない。 『わかってるな。』 機械ごしに、土方がにやりと笑う音が聞こえたような気がした。 とたんに携帯を持つ手が強張る。一息ついて、なんとか「・・・・・わかってます。」という返事を搾り出した。 『まぁいい、引き続き頼むぞ。』 「了解です。」 と、電話を切ろうとした瞬間に、『あ、おい、山崎。』と思い出したような声が耳に入る。 「何でしょうか副長。」 『帰りにトイレットペーパー買って来い。』 「了解です。・・・・・って、は?」 『二回も言わせんな。屯所のトイレットペーパーが切れたから買って来いっつってんだ。』 「いい加減にしてください。何度も言いますけど、俺は雑用じゃなくて、監察です!」 『んだお前。ケツ拭けなくなっていいのかコラ』 「いえ、そりゃ困りますけれども、確かにトイレで妖怪便所童になるのは御免被りますけれども!!とにかくこっちの状況だって考えてください、俺まだ勤務中で」 すると、ばかやろう、という声が受話器越しに返ってきた。 『誰が任務中断してまでしろっつった。終わってからでいい、敵さんにつけられてないか確認して買って来い。むしろ、お前がバイトしてるスーパーのやつをかっさらってこい。』 「むむむ無理ですって!つか、他の暇そうな人に頼んでください、どうせ暇でしょう、・・・・・・ホラ、沖田さんとか。」 『山崎、あとで覚えてろィ。』 「すみませんでしたぁあああってかいつの間に沖田隊長に変わってるんですか!」 『ということだそうだ。とにかく買って来なかったら切腹な、山崎。』 『帰ってきたら切腹なァ、山崎。』 「どっちみち切腹じゃねぇかああああ!」 夕日に叫ぶ声は、無残にもブチっという壮大な音に遮断された。 あとは自分の耳裏に、ツーツーっと、これまた無残な機械音。ぶっきらぼうに電源を切った携帯電話を前に、山崎の頭には憎き白い円柱状の生活必需品が浮かんだ。 (・・・・・ああ、あの一番やっすいやつ。あれでいいや。俺はこう見えて律儀だから、安くってもちゃんと店長にお金払おう。あ、どうせならめちゃくちゃ値段の高い二枚重ねとかのにしちゃおっかな。しかもバラの香りつき。んで、後で副長に経費で落としてもらおう。よし、俺っていいやつ。) 気を取り直した山崎退、本日最後の心中会議。もとい、最後の愚痴。 (だいたい、なんで俺がこんなこと。) しかし自分で言って、自分で気づく。なんとも馬鹿馬鹿しいが、至極当たり前の答えに。 (確かに、それが俺の仕事だけどさ。) 心中会議 |