さて、ここに一つのドアノブが差し出される。 男はそれに手を伸ばすが、ほとんど触れそうになったところで手を止める。 ジジ、と煙草の匂い。 「なにやってんでぃ、さっさと開けろ土方コノヤロー」 男の一瞬の逡巡は、後方からの一言で塵と化した。 街の中心から少し離れたところに、その洋館はある。 和洋折衷の言葉そのままに、両者の趣を取り入れた新しいスタイルであった。 屋根の上方には、異国風の風見鶏が立っている。 「俺はねぇ、土方さん。今日は日ごろの鬱憤を晴らそうと思いやして。」 「いつも晴らしてんじゃねぇかてめぇは」 「ま。金持ちの道楽です。」 「てめぇで言うか。しかも金そこまで持ってねぇだろ」 「出世払いで。もうすぐ俺の上司、死ぬんで。昇進しやすんで。」 「よし上等だ刀を抜け。」 土方がそう言うのにもかまわず、沖田は淡々と箱を開ける。 途端に箱から溢れて滑る、色とりどりの球たち。 「俺はね、この瞬間が好きなんでさぁ」 未だに壇上を滑る球。 深緑の玉突台の上を、直線を描いて滑る。 「いつ、どうやって落としても、こうやってまっすぐに伸びていくんですぜぃ。こんな綺麗なモン、この世でそうそうあるもんじゃない」 「そうか。俺には気味悪いもんにしか見えねぇが」 「そりゃぁ見る人の心の広さに比例してるんでさぁ。もちろん心の広いやつのほうが綺麗なものにも自然、目が行く」 はい。そう言って沖田はキューを土方に手渡す。 そして次の瞬間には、もう既に玉突き台の上を舐めるように見ていた。 狙いが定まったらしい、沖田は姿勢を低くキューを構える。 しかし極めて無表情で、一番手近の球を弾いた。球の白が激しく走る。 音を立てる。 土方は、自らの左手にあったキューを持ったまま、玉突台から離れた。 そして咥えている煙草を右手に持った。遇に、窓からの景色を望む。いや、睨むと言ったほうが正しい。 「しかし、」 ここは洋館の二階であった。詳細を述べるならば、来賓様の部屋であった。 濃い赤を基調にした壁紙に、たくさんの鹿の頭が土方を見下ろしている。 暖炉は実際使っていないようだ。だが、その上には気の遠くなりそうな値段の装飾品がごろごろと並べられている。 ただ飾っているだけには勿体ない代物ばかりで、目に悪いと言ったらなかった。 そして、この空間自体が醸し出す、うっとおしい何かが、土方は耐えられなかった。 だから自然と、金で縁取られた窓ですら開けたくもなるというもの。 音を立てて、左から右へとガラスを動かした。窓の金縁だけが、ひんやりとしていた。 ふわり、と外気を感じる。煙が靡く。 「てめぇにこんな酔狂な趣味があったとはな」 「趣味なんて、大層なもんじゃねぇです。」 視線は球。沖田は相変わらず、狙いを定めている。 「・・・・土方さんも、やらねぇんですかい」 ゆっくりと、慎重に言葉を選ぶ。 土方から漂う、淡い煙。 一拍。 「・・・・やってやるよ」 そう言って玉突台に立てかけていたキューを手に取る。 狙うは、青の9。 沖田は、少し機嫌を損ねた。 「そいつは、俺が」 「黙ってろ」 カーンと小気味よい音が、二人しかいない室内一杯に響き渡る。 同時に落ちる音。ごろごろ、と低い音。 「余興は終わりだ」 帰るぞ。 その一言に、沖田は口を尖らせたまま「まだちょっとしかしてないのに。」と言いつつも従った。 部屋から出る際、目に入ったのは、窓から先の景色。 土方が開けた金縁の窓から先の景色。 ターミナルが見える。 洋館を出てしばらくして、土方は缶コーヒーを買った。 さきほどの洋館の中では、何もかもが暑苦しく仰々しく感じていたのに、打って変わって通りは木枯らしが吹いていた。 缶のトップに手をかけたとき、土方は 「てめぇも、よく見つけたもんだな」 と言った。ぴくり、と沖田の目が動く。しかし、それも至極一瞬。 「へーえ。土方さんも好きになりやしたか。あそこは結構穴場でねぇ」 「ちげぇよ」 「今度俺に知らせるときは、屯所で言うんだな」 「・・・・・あ。ばれてやした?」 「いちいちめんどくせぇんだよ、お前のやり方は」 「俺は隊長ですぜ。山崎みてぇな監察連中じゃねぇ」 「直属じゃねぇ限り報告する必要もねえってか」 「いいじゃねぇですかい。今回は特別に教えてあげたんですから」 「そろそろか」 「そうですね」 「ああ、総悟。あの洋館、ずいぶんと見晴らしのいい場所だったなあ」 「ええ。そりゃぁもう、見晴らしがよすぎてびっくりでさぁ」 部屋から出る際、目に入ったのは、窓から先の景色。 土方が開けた金縁の窓から先の景色。 ターミナルが見えた。 その前に、日本橋が見えた。 その日本橋を、攘夷浪士として名のある連中が、堂々と闊歩していた。 そろそろこの自動販売機のある通りに、彼らが差し掛かる頃合だった。
婉曲、金縁の窓 |