遥か彼方からの手紙



冬の刺すような風が肌に突き刺さる。その風に急かされるようにして、男が一人、通りを横断した。
灰色の空を映した水溜りが、一台のエレカに飲まれて悲鳴をあげる。男は器用にその水しぶきを避けると、小さな店名のネオンが光るバルに滑り込むように入っていく。夕方近くだ、客も大勢溢れている。そんな店内をするりと掻き分けカウンターへと一直線。こちらに背を向けたままの店主を視界に収めると、右ひじを付いたまま硬貨でカウンターを叩いた。

「コーヒーとビールを頼む。コーヒーはブラック、ビールはスタウトで・・・あー、スミスウィックスがいいだけど、あるかな。」
「スミスウィックスか。あるよ。しかし兄ちゃん、若いのに古風な趣味してんなあ。」
「・・・・・・だろ。」
「ってことは、なんだい。兄ちゃんはアイルランドのほうから来たのかぃ?」

見事な髭を蓄えた口元を緩め、店主は嬉しそうに言った。苦笑した男は、「いや、」とやんわり否定する。

「俺はプラントからきたんだ。」

こともなげに天に向けて指をさす、その動作を見て店主は目を丸くした。ぱちくりと目をしばたかせていたが、しばらくすると目線を手元に下ろし、無言でコーヒーを注ぎ始めた。ラスティはその様子を、静かに、だが挑むように見ていた。恰幅のいい腹に古ぼけたエプロンをつけている店主は、今度はラスティに背を向けて、手垢にまみれた銀色のレバーを手前に引いた。ブシュッと音がして、空気をふんだんに含んだ泡が、鈍い赤茶色のビールと共にジョッキの中に注がれてゆく。

「おもしれえなあ・・・。兄ちゃん。」
「冗談言うなよ、って返されると思ってたけど。」

片方の眉を上げてラスティがにやりと笑うと、店主は背中の向こうでつまらない喜劇でも見たかのように鼻を鳴らした。振り返り、ごん、とジョッキをカウンターに置いた。ゆれた泡がカウンターに零れ落ちる。

「俺はなあ、兄ちゃんみたいなヤツは嫌いじゃないんだよ。」
「へえ。何か特別な理由でも?」
「はは、そういわれちゃあ教えないわけにはいかねえなあ。」

シワを見せながら、にやりと店主は口元をほころばせる。
ため息をつく。どうやら、気に入られてしまったらしい。

「言っておくが、俺もバカじゃない。んー・・・そうだな。長年バルを経営してる店主っていう観点から言わせてもらうとなあ、兄ちゃんみたいな輩は騙せないな。逆に損しちまう。だから深くつっこまないことにしてるんだ。故郷とか、生い立ちとか、主義主張とか・・・そういうのは特にね。」

ラスティは白い息を吐き出した。
ジョッキに口をつけるが、味見程度でとどめておく。適当に見繕って入ったバルにしては、なかなかの味だった。

「いいか、俺にとって人間は2タイプしかない。」

店頭の親父は、尚も親しげに指を差し出す。
じゃんけんで言えばチョキ、つまり二本の指をぷらぷらと動かして。

「まず一つ目。ほんとにバカ。バカ正直すぎてカモになるタイプ。でも、性格はいいやつが多い。んで、」

指が一つになる。

「二つ目。こっちは、一枚上の連中だ。わざと馬鹿な振りをして賢く立ち回る。狡猾で卑怯、・・・・そう」

天を指していた人差し指は、ラスティの前ですっと止まった。


「・・・・まるで、兄ちゃんみたいな。」


無表情で通した。適当に見繕って入ったバルのおやじにしては、なかなかの店主だ。

「でも一つ、困ったことがあってなあ。」
「ははは、あんたもタイプ・ツー・・・つまり、俺と同じ側に属しちまってるっていうことだろ?」
「はっ、なんでもお見通しだな。だから、兄ちゃんみたいなヤツは嫌いじゃないだよ。」

にやり、と笑って掌をずいっと差し出してくる。「サービス。一杯まけとこう。」

「おお、さんきゅー。」
「御代はいらんぜ、ザフトのにーちゃんよ。」

その一言に、カウンターに座ったばかりの客の一人はぎょっとした。が、踵を返したラスティは、おっさん、やっぱあんたはタイプ・ツーだよ、とぼやくと、足早に店内を後にする。

駆け出すと同時に、道の水溜りを思い切り蹴った。当然のごとく、泥水がズボンのすそに跳ねた。
汚い路地裏、跳ねる水溜り、見知らぬ人々の笑顔。全てが自分の昔の記憶とあまり変わらないもので、不意に余計な記憶まで呼び出しそうになる。

(こんなもんか。)

初めて異国の地に足をつけたはずなのに、目に映るすべてが近代的な故郷の映像とだぶって仕方ない。
異国に来れば、一時でもいい、それまでの日々と人生を忘れることができると思っていた。が、ここに来てどうやら、それが大きな間違いだったと気づかされた。バカみたいだな、と一言呟いてから、灰色の壁に背を預け、ゆっくりと目を閉じた。

目の前に立ち並ぶ建物には、故郷の都市が有する高層ビル群には絶対に持つことができない年月の重みが確かに蓄積されている。目を閉じ、背中を預けるだけでほら、人の吐息を感じることができる。奇妙なほど穏やかな気持ちになる・・・・愚かな人間の、歴史を紡ぎ続けた壁。

ラスティは目を開けた。左手に持っているコーヒーから紡がれる温かい湯気。
それを見て、ゆっくりと背中を起こす。黒いエレカが通り過ぎた後で、大通りを足早に駆けていった。




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