場面は晩夏。寂しい夏の夜道に戻る。
その夜道を、一抹の風が軽やかに走り抜けた。しかしその風が、未だ両者の間にある張り詰めるような空気を流してくれることは、決してない。
土方はじっと口をつぐんでいる。
淀んだ、しかし切れそうな空気に挑むように。
それとは対照的に、にやりと伸びる口元で見下す高杉は、己の刀をしゃがんだままの土方の後頭部・・・いや、うなじに突きつけたまま、「・・・・心当たり、あるんじゃねぇのか?」と後ろから告げる。

「肌は白くて、滑らかで・・・消えちまいそうな。いや、初めから存在していなかったかのような。そんな女だ。」
「・・・・・生憎、」

と、それまで沈黙を保っていた土方が口を開く。

「女は腐るほど相手にしてきた。いちいち覚えてるっつう保障はねぇな。それに、」

にやりとした笑みで、手にしていた煙草をピン、と弾いた。同時に素早く鯉口を切る。

「女に乗せられて人を殺めようとするほどのバカが、まだこの時代にいたとはな。軽く驚きだ。加えて、人を背後からじろじろ見るなんざ・・・・相当な悪趣味野郎だな、てめぇ。」
「・・・・どっちだか。」
「ツラァ拝ませろ。」

一息、ため息のようなものをついた高杉は、構えた刀を土方の首筋から離した。
塵を払う動作で闇を一斬りし、木目の美しい鞘にすっと収める。
背後の気配がわずかに遠のき、剣が鞘に入り滑る音を聞いた土方は、手は鯉口を切ったまま刀に添え、ゆっくりと立ち上がり振り返る。その間、刺すような不快を感じながら。
が、高杉と目を合わせた瞬間、小さく噴き出した。

「軽くどころじゃねぇ、大いに驚いたぜ。悪趣味の自称“酔狂者”が、まさか・・・・過激派攘夷浪士、高杉晋助。てめぇとはな。」

くつくつと、喉元で笑う。
その笑いが夜道と同じ色、土方の藍色の着流しに吸い込まれていく。

「驚いたと同時に失望もしたぜ。過激派って呼ばれてるてめぇも、とんだ私情で動くもんだな。・・・だが悪いな、俺は女に思い入れなんてもんはない。てめぇの言ってる女、そいつも皆目検討がつかねぇ。」
「ほう・・・見当が外れたな。」

返す高杉は、大げさに肩をすくめて笑って見せた。

「一度見たら、一生忘れられないような女だったんだがなァ。器量がいいだけの女なら、江戸や京にいけばごろごろいやがる。だがあの女は違った。にじみ出る色気の中に、危うさが混じってやがった。まるで、刀のような。」
「ハッ、そんな女いたら会ってみたいぐらいだぜ。」
「沖田ミツバ。」

瞬間、土方の目が大きく見開かれた。それとは対照的に、高杉の瞳は細くなる。

「・・・・そんな名前だったか。」

歪む口元の笑みも深く。
が、二度目の風が駆け抜けた瞬間、土方の瞳は元通りになっていた。至極無表情で見下し、「そんな女、」と告げる。

「知らねぇな。」
「ならてめぇに用事はねぇ。」

そう言って土方に背を向けた。
ガチャリと派手な音を立てて、土方は自身の刀の柄をきつく握りしめた。
全てが不快だった。
簡単に背を見せられた屈辱。そして全てを知っているような歪んだ笑み。
それらが一体となって土方を飲み込もうとする。いつだったか、それと似たような類を見せられたような気がした。そうだ、あれはたしか、・・・・・万事屋の。

何しにきやがった。なんであいつの名を知ってる。まさか、

「心配すんな。転海屋とはなんのつながりもねぇからよ。」

そう言うつもりで口を開いた土方の言葉は、振り向かないままの高杉の、「まぁ、つっても信じねぇだろうけどな。」という返事に飲み込まれた。

「・・・・・さっきから、何勘違いしるか知らねぇが。そんな女、俺は知らねぇと言った。過去に会ったかもしれねぇが、生憎覚えてねぇ。転海屋、確かにあいつらは取り締まったが、それも不法取引をしてたからだ。てめぇの言ってるその女云々のくだり、全く意味がわからねぇ。」
「そうか、そりゃあすまなかったなァ」と、高杉は淀んだ笑みを浮かべる。
「だがこのまま帰るのも無粋だろ?暇つぶしに、その女のことを話してやろう。」
そう言って、じっとりと土方の瞳を見た。
「肌は格段に白くて、すべらかでやわらかい。いつも雪解けのような笑顔で笑いやがる。」
「・・・・・。」
「あれだけ出来た女は、久しぶりに見た。」

戦慄が走る。どちらに、とは言はずとも知れる。

「まあそいつも、とっくに死んじまった。肺病でな。」 じわじわと侵食してくる恐れ。
この男のいう「女」が彼女でない可能性はわずかしか残されていない。
・・・・飲まれるな。

「ただひとつの後悔といえば、俺はそいつを抱いたことが無えっつうことだ。それだけが残念でならねぇ。」

飲まれれば最後だ。終わりだ。

「あいつの喘ぐ姿は格段に、」視線が絡む。


「艶やかだったろうなァ。」


瞬間、高杉の背後から鋭い刃が振り下ろされた。
ガツゥンという派手な音を立てた愛刀の鞘。高杉は刀を収めたまま、鞘で土方の刀を受け止めると、目近に迫った暗い双眸を冷めた目で見た。それは先刻、高杉と同様の歪んだ笑みを浮かべていた男の目とはまるで別物だった。
込められた力の強さによってギリギリと小刻みにゆれる相手の刀を、愛刀の鞘で押し返しながら高杉は口を開く。

「・・・・いきなりか。」
「てめぇ・・・・どこまで知ってる。」
「何のことだ?」
「とぼけんじゃねぇッ!」
「とぼけてたのはてめぇのほうだろうが。知らねぇふりしてたじゃねぇか。沖田ミツバ、そんな女は」
「黙ってろ!」

言い終わる前に、高杉が土方を圧倒した。ガッと重い音、土方は後方へ押しやられる。高杉はそこでようやく鞘から刀を抜いた。抜かれた鞘が地面に落下。カランカラァン、と夜に響く音を立てた。

「高杉晋助、なんでお前がアイツを知ってる?」
「さあな、と言ったら、どうするつもりだ。」
「斬る」
「何を言っても、どうせてめえは斬るんだろ?」
「だったら」

どうした!
最後の一言は慟哭だった。
先ほどよりも強い、金属と金属が交わるガキィンという音が鳴ったかと思うと、素早く小手を返した土方の太刀が喉下から迫る。対する高杉はわずかに右に体を反らし、同時に抜いた刀を上段から振り下ろした。
再び金属音。
しかし、今度は鍔迫り合いにはならない。一気に畳み掛ける土方の太い刀が何度も吼える。悲しい叫び声を上げる。こいつは予想以上の手ごたえだ。高杉は避けながら、やはり土方の目を見据えつつ思った。

(こんな色か。)

暗く激しい双眸の色。
冷めた目で一瞥し、高杉はゆっくりと息を止めた。その間、一秒にも満たない。


(・・・・まぁ、確かに似てたかもしれねぇな。俺とこいつは。)


だがその一瞬は、一瞬たる意味を成す。
その一瞬、高杉の太刀は土方の左脇をとらえた。


この夜、一番激しい音が悲鳴をあげた。






「・・・・・ぎゃあぎゃあ吼えるんじゃねぇよ。せっかくの逢瀬が台無しだぜ。」

衝撃で壁に叩きつけられた土方の首の真横、突き立てられた高杉の刀が光る。
わずかに滴る血が首筋を辿って鎖骨に届いたとき、土方は自身の負けを悟った。そして悔いた。激情に任せ、闇雲に刀をふるった自分自身の行動を。

(・・・・・くだらねぇ。)

昔から、武州にいたあの時から少しも変っていない。
何年かぶりの横顔を見たとき、転海屋の顔を見上げたとき。
あの時も全く変わっていなかった、変われていなかった自分を知って愕然としたものだ。
どうせ死ぬまで変われやしねぇんだ、あいつのことになると妙にバカになる、状況も周りも見えなくなるバカに。だがそれは、てめぇ勝手過ぎるんだよ。重々承知している、・・・だから胸糞が悪い。
対照的に遅れて来た屈辱の色は、ふと浮かんだ彼女の笑顔によってゆるやかに溶けていった。やはり遠い。まだまだ遠い。そんな事を想いながら、突きつけられた刀の色を見てぼんやりと思った。突きつける男はやはり、万事屋とどこか似ている、と。

「死ぬのは怖くない。だから涙を流すな。自分の存在を忘れるくらい、前を向いて進め。進み続けろ。」

それが一体誰の声なのか、目の前の男か、自分か、万事屋の男か、それとも・・・彼女か。
その判断さえ、一瞬惑ってしまった。なぜなら土方の見た男の口元は、先ほどのように歪んでいなかったからだ。いたく真剣で真っ直ぐな、水のような透明さまで携えていた。それは万事屋のそれというよりは、むしろ、

「いつだったか・・・・・あの女が、そう言っていた。」

高杉は、ゆっくりと言葉を紡いだ。思い出す。彼女の声と微笑を。
彼女が喚起した、あの日の面影と共に。そして目の前の男を見据えた。

対する土方は、「あいつならそう言うだろ」と、ぽつりと零した。そして搾り出すような、しかし挑むような声で高杉を睨み、

「殺せ。」

と言ってにやりと笑った。

(ああ・・・・・やっぱり、似ていたらしいな。)

思いつつ高杉は、ぐい、と力をいれ、壁に刺さっていた刀を抜いた。抜きつつ、
「お前も残されたクチだろう。」
と、土方の黒い、だが噛み付くような鋭さを携えた目を見下して言う。

一歩下がって、手に持つ刀で塵を払う動作をした後、「そう簡単に逝かせてやるかよ。」と言い、にやりとしながら鞘に収めた。妙に整ったその様を見ていた土方は、一瞬困惑した様子だったが、すぐに自嘲的な笑みを浮かべた。「存外、」と口を開く。

「甘っちょろいな、高杉晋助っつう男は。」

すると高杉は、ハッ、と笑った。

「勘違いすんな。俺は伝言を伝えに来たっつたろう?真撰組副長にな。が、・・・・どうやら人違いだったらしい。本日二度目の見当違いだ。」

土方は眉をひそめる。


「今のてめぇは副長なんかじゃねぇよ。ただの男だ。女を殺しちまって、てめぇ勝手に落ち込んでやがる、身勝手でバカな・・・ただの男だ。」






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