「あら」 今日も、いらしてたんですか。 ゆっくりと、彼の隣に腰を下ろす。 そこは、いつも彼の指定席であった。 ミツバは、少し足を前に出す。しかし、すぐに引っ込める。足先に、水が触れる。 ・・・・冷たい。 「まだ、止まないみたいですね」 雨である。 先ほどから再び愚図り始めた空は、ここにきて一斉に激しい雨を降らせていた。 ぼんやりと、横の男は庭を見ていた。足をくつろげている。いかにもリラックスしている様が、この男の態度がでかい、と言われる一種の所以でもある。 男は、雨が止むのを待つ気なのだろうか。 「・・・・・・婆さんは」 ふと、男が声を発する。目線は、相変わらず空に向けられていたが。 「奥の間で、お友達とお話を」 「いつ終わる」 と高杉が問うと、ふふ、とミツバは笑いを返す。 「なんだ」 「いいえ。・・・・ただ、」 いつになるかは、わからないの。 と言う。相変わらず、微笑んだままだ。 「何がおかしい。」 「おかしい、というか。おばあさんも、女である、ということです」 なんだそりゃ。 はき捨てるように言った高杉を見て、ミツバは軽いため息をつく。 「あなたなら、少しはわかると思ってました」 「だから何が」 と言うと、ミツバはゆっくりとこちらを向いた。 仕方なく、高杉はゆるゆると彼女のほうに体を向ける。 年端の行かない稚児に教えを説くかのように、人差し指を立ててミツバは言う。 曰く、おばあさんも私も女です。女の子は、お友達と話していると、必然と長くなるものなのです。男の子のように、淡々としているわけでもなく、さっぱりとしているわけではないけれど。昔の話だとか、近頃の近況報告だとか。話しているうちに楽しくなって、長くなる。それが女の子同士の会話というものです。 「わかりましたか。」 最後にきちんと笑顔も添えて。 高杉は一瞬目を丸くした。が、それもほんの一瞬で、次の瞬間には「へいへい」と軽く手を振った。取沙汰しない気であろう。 ミツバには、男のその動作がいやに新鮮に映った。 うれしくなる。この男も、そういう顔ができたのだと。 同時にちくりと心が痛む。なぜだかはわからない、わかろうとしてはならないと、自分で自重する。 「・・・・男の中にも、さっぱりしてねぇヤツだっている」 だから、それをこの男が口にした言葉であると気づいたのは、一瞬の後である。 遅れて顔を上げる。 珍しいことである。今日の彼は、良く喋る。 「いちいち正論を説く野郎や、ねちっこく追いかけてくる野郎、そういうヤツと話していると」 「・・・・・・話が長くなる?」 言葉を受けつぐと、無言が返ってくる。 という事は、男が認めた証拠であろう。話を促す。 「他には。」 「・・・・・この世で生きてねぇようなツラしてるヤツだとか。見ていて胸糞わりぃったらありゃしねぇよ」 「・・・・・それは、」 そこで一瞬、ミツバの表情が凍りついた。 言葉がつまっている。耐えて耐えて耐えた上で、その顔が出てしまったような、そんな顔であった。 が、高杉がその顔を見ていると、ミツバはゆるゆると微笑んだ。 凍った雪が徐々に溶けていく、そんな錯覚に見舞われた。 「私、」 と、ミツバは微笑んだままで言う。 「死ぬこと、怖くないわ」 何を言い出すかと思えば、いきなりそんな事を。 と高杉は思ったが、黙って聞き手に回ることにした。 しかし、今日は良く喋る。 自分も、彼女もである。 「昔から、ずっと肺に患いを抱えてきたから。だから、怖くなんてないのよ。全然」 「そりゃぁ、ご立派な事で」 「死ぬことは、怖くないの。だけど、心残りな事は、あるの」 「・・・・・・ほう」 「それはね、」 高杉は、ふと横を見る。 「手拭いさん。手拭いさん。これ、買って」 目線を下げる。すると自身の右斜め下に、くりくりとした瞳で、こちらを見上げている者あり。 「ねぇ、お願い。これ、すごく綺麗なの」 そう言って、微笑んできた。 近くに目を走らせると、案の定、向こうの通りに少女の母親と父親らしき人物、そして屋台。もちろん、少女の手にあるそれと同じものが数十とある。 「ね、お兄ちゃん。手拭いのお兄ちゃん。」 こちらの袂をひっぱってくる。 肩に手拭いを掛けていたという理由のみのその呼称、なんとも微笑ましいではないか。 隊の同士が聞いたら、それこそ目を丸くしそうである。 「ね、みてて」 そう言って、少女は手に持っていた風車を高く掲げた。 と、今まで微風だった風が、ちょっとしたつむじ風に変わった。 びゅう、という音さながらに、通りの街人は誰もが驚いている。 が、少女は驚いてはいなかった。 にこにことした表情で、手にしたそれを見ていた。 「ね。ね。すごいでしょ?くるくる、まわるのよ。」 こちらを向いて、そう告げてくる。 赤を基調にした風車は、尚もカラカラと音を立て、激しく回転していた。 高杉は、眩しいものを見るかのように、その少女を見つめる。 年端の行かない子供は、こんなに屈託のない顔ができるのか。 内心驚くとともに、自身を含めた大人が誰しもこのような時期があったという事実を、改めて知らされた次第である。 しかし、今の自分は、それとは最も遠いところにいる。 高杉は、目を細めた。 夕日と溶け込みそうな少女の笑顔を、実際、眩しいと思っていた。 私が死ぬことで、きっと誰かを悲しませる。 それは、私の縁者であったり、奥で話しているおばあさんであったりすると思うのだけれど。 きっと、私のことなんて忘れてくれる。そうでなくても、いつかは忘れる。そう、それはわかっているの。 だけど、私が死ぬことで涙を流す人が一人でもいること。その涙を拭えないこと。 それが私の、唯一の心残り。 いっそ、私が死んだ瞬間に、 全ての人の心から、 私の存在が消えてくれたらいいのにね。 太鼓の音が近づく。 そろそろ、山笠が走り始める頃合いである。 夕日は、当に落ちている。 |