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《はじめに、言っとかなきゃいけないことだけ言っておく。あたしの家はもう買い手がついてるから心配無用だ。それから、お前の薬は今度から近江屋でもらえ。あそこの旦那がお前に渡してくれることになってる。こんなこたぁ言う筋合いも資格も持ち合わせちゃいないつもりだが、体あっての人間だ。特にお前さんには多くの部下がいる。労わって損なもんじゃないんだから、てめえの体はてめえで大切にするんだよ。
 お前には世話になったね。本当に冗談なんかじゃない、感謝しているよ。今更何を、って言うかもしれないが、あたしは実を言うと、始めあんたに「間者にならねぇか」と言われたとき、話に乗るつもりは、これっぽちもなかったんだよ。お前みたいな小僧のために命張ろうなんざ、爪の垢ほども思っちゃいなかった。面倒事は御免だしね、何よりあたしだってバカじゃなんだよ。 きちんと考えたんだよ、お上の連中も大変だろうってな・・・いきなり天人が大砲ぶっぱなすわ、それに対抗すれば殺されるわ。城下に生きる民を一人でも多く救おうと思ったら、ああやって媚を売るしかなかったっていうやつらの立場も、そのための苦悩も、腐るほどわかってるつもりさ。ただ、そうだね・・・あえて言うなら、この国に恩を売る必要はない。あの時そう思ったからかもしれないね。 死にそうな怪我負った人間を前にして、ほったらかしてやれるほど優しくなかったあたしの旦那に嫌疑をかけて、あることないことはやし立てて。 笑い話さ、気づいたら旦那は首だけになってたんだからね。悲しくはなかったね・・・とにかく、虚しかった。虚しすぎて涙なんて大層なもん、あたしの目からは出やしなかったさ。 もちろん、そん時だってわかってたよ。お上はお上なりの苦悩があったんだろうとね。 だが、バカなあたしの旦那を、それこそバカにもわかるくらいの嘘の理由で殺したお上に、必死になって使えて、恩を売る必要はない。 その時、そう思った。思った瞬間、やっと涙が出た。やっと、涙を流すことができた。悔し涙だけどね。 それからしばらくしてだよ・・・あんたに会ったのは。 今考えてみてもあんまりはっきりしないが、何がきっかけといえば、それかもしれないね。 それにあんた、どことなくうちの旦那に似てたからね。 ははは、どこにでもいる五月蝿いババアの戯言だよ、さらっと聞き流してくんな。 うつけも大概にしろって言う、お前の顔が目の前にはっきり浮かぶよ。》


「総督っ、」

ドタドタと、気配を殺しもせずに近づいてきた部下が言った。その声と顔を見て、高杉は顔を上げた。同時に、はだけた着流しと肌の隙間に白い紙切れを差し込んだ。
「今日の朝、宿町の婆さんが、」
「死んだか。」
「ええ、先ほど一報が。」
「そうか。」
「事情聴取の途中、担当者が席を数分外した間に・・・・舌を、噛み切ったそうです。」
ぎゅっと引き締まった顔になった部下は、一拍置いて「それから、」と言うと、心持表情を緩めた。
「情報の漏洩はありません。婆さんの家からそんなものは出てこなかったようで、逆に、いきなり家に踏み込んで逮捕に踏み切った真撰組に対する批難が出ているそうです。」
「松井屋のほうはどうなってる。」
「そっちも、我々鬼兵隊への関与は一切確認できていないようです。ただ、こちらのほうは攘夷志士をかくまっていたという確固たる証拠が挙がっているようで・・・・松井屋の旦那は誰彼とかまわず攘夷志士をかくまっていたようなので、前科のある適当な浪士を見繕ってあてがうのが一番かと。これは河上さんが処理することになっています。」
「・・・・・」
「このまま行けば、やつら・・・・真撰組と言わず、見廻り組などの他、お上に属する機関が松井屋や宿場町の婆さんから我々を引き当てるのは不可能かと。」
高杉の頭を、宿場町の婆さんのしわくちゃな顔がよぎった。同時に「あのババア・・・・。」と、無意識に呟いていた。
自分の死すら、味方につけるか。高杉たち鬼兵隊とのつながりを微塵も残さず、自身の死を「自殺」という形で演出することで、いきなり踏み込んだ真撰組を悪役に仕立て上げた。婆さんが医者の妻であったという事実や、その医者がお上にあることないことふかっけられて斬首になったという事実も、近いうちにマスコミに抜かれるだろう。となると、無実の罪を着せられた夫の死を乗り越え逞しく生きてきた一人の老婆と、その人権を無視し、無理やり死に追いやった真撰組という図ができあがる。真撰組に対する民衆の風当たりが、また一段と強くなることは必須。いや民衆だけではない。幕府内部で真撰組の存在を快く思っていない連中、つまり見廻り組や他の幕臣が一気に畳み掛けてくるだろう。
お約束の身内同士の潰し合いに、捜査の足の引っ張り合い、そしていつの間にか有耶無耶にされる全て。 どうか、常にそうであったように、反吐が出るほど内部同士のあら捜しに躍起になってほしいものだ。その間、民衆の心に侵食していく「幕府への不信」に気づいても、止める事などできやしないのだから。
・・・・そういった全てを計算した上での死。
“お上に恩を売る必要はない”と言ってのけた彼女も、紛れもない鬼だったということか。

「総督・・・?」

高杉は、疑問を浮かべた部下の顔を改めて正面から見た。俺の下につく事を決めたこいつも鬼、老婆の夫を殺す決断を下したお上も鬼、どいつもこいつも鬼だらけ。そう考えると、高杉自身が率いる「鬼兵隊」という名はそのまま、人の集団であるという証明に過ぎない。

「出かける。」

考えてみれば、至極簡単なことだった。人はみな、自身の中に一匹の鬼を飼っている。それは時に、獣、あるいは修羅という風に形容されることもある。ただそれが、ふとした瞬間に表面に現れ出るか否かというだけのこと。

「どちらへ。」という部下の前を通り過ぎた高杉は、二、三歩行ったところで振り返り、
「江戸だ。」
と淡白に言った。

婆さんの手紙の中に書いてあった情報と、部下に探らせた事実。それらを単純につなげ合わせると、一つの形式が出来上がった。それはまだ確信の域を出ない。だが、後々会わねばならぬ男であり、自身と同じ匂いを漂わせているその人物を、そしてまさに今うねりの渦中に居る男の目の色を、ただ単に自身の目で確かめたいと思った。そして。


ふと、高杉の耳もとで、いつかの三味線と笛の音が聞こえた気がした。


彼女は。あの男の前でも彼女は、あんな顔をしたのだろうか。雪解けのような顔、消えてしまいそうな笑顔で、「怖くない」といったその声で、その男の名を呼んだのだろうか。

「墓参りだ。それと・・・・・」

そこまで言って、高杉はにやりと笑った。


「女を殺した男のツラを拝みにな。」






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