[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。




ある時、どこからともなく流れてくる節が、それはそれは、いたく懐かしい色味を帯びていた。幼いころ、いつか聞いたそれ。落ちていく落日と夕凪を思わせるそれ。

草の枯れた匂い。夏が終わった匂い。
初秋の、透き通るような空の、色付き始めた庭先の紅葉の匂い。

記憶が、遇に誘発される。





「それ、」

言いつつ、ゆっくりと、逆さになっている彼女の背中を目に焼き付ける。
すると、声の先の人物は手を止め、こちらを振り返った。振り返ったとき、彼女の白いうなじが揺れた。

「聞き覚えがある。」

すると、「あら、本当。」と、嬉しそうに答えてくれた。吸い込まれるような瞳が、ふふ、と笑う。ゆっくりと、土方は体を起こした。

「てっきり、まだ寝ているのかと。」

縁側に腰をかけていたミツバは、すっと立ち上がって土方の側で腰を下ろす。
土方は、畳の上に胡坐をかいた。

「お前、三味線上手いな。」
「先生が、下手だと困るでしょう?」
「それもそうだな。」

彼女は、村の子供に三味線や読み書きの稽古をつけている。それで、弟と自分の生業を立てているという。よくは知らない。知ろうとも思わない。自分達にとって、過去はどうでもよかった。

ふと。一節だけ、風に乗せて彼女が鳴らした。そして、微笑む。

「・・・・これでしょう。」
「ああ。覚えがある。曲名は忘れたが・・・確か、笛も一緒に合わせるんじゃなかったか。」

そう答えると、意外そうな顔をしたミツバが頷いた。

「そうそう。どうして知ってるの。」
「どうしてもクソもねぇよ。知ってるもんは知ってるんだから。」
「それも、そうね。」

くすくすと笑う。もう大分なじみとなったその顔。
いつからだろうか、そのほころぶ顔を見るとき、自分も微笑んでいるようになったのは。

「せっかくだから。」

そう言って、彼女は腰を上げた。部屋の奥に消えたかと思うと、すぐに姿を現した。
あるものを、手に持って。

「笛?」
「ええ。私が笛を吹きます。だから十四朗さんはこっち。」

そう言って、先ほどまで彼女がかき鳴らしていた三味線を渡してくる。

「おいおい、」

冗談はやめろ。そう言おうとした時には、彼女はすでに笛を構えていた。
帰ったほうがいい。もうすぐ総悟が帰ってくる。だから早く。
暇乞いを告げるつもりで開いた口から、

「お前はこっちだ。」

という言葉が出て、自分で自分に呆れた。
きょとん、としている彼女の表情は、まさに自分の心の内を代弁してくれているようなもの。一瞬の後、やっと自分が笛を取り上げた理由を理解した。

「・・・肺に、触るだろうが。」

そう搾り出すのが、自分の精一杯だった。
いきなり押し付けられた三味線を片手に、ミツバは「でも十四朗さん、笛吹けるの?」と戸惑いつつも疑問をあてがう。耐え切れず視線を逸らした土方は、頭をガシガシと掻きながら「死んだおふくろに、ガキの頃習った。ちったぁ吹ける。」と言った。

「ほら、てめぇの三味が先だろうが。」
「わかってます。」

ほらまた、くすくすと。そうやってお前は笑う、いつもいつもそうやって、消えそうな笑顔で笑うんだ。だから遇に、怖くなる。本当に消えてしまいそうで。消してしまいそうで。

吹きつつ、土方は自分の常となった習慣であるように、ゆるりとミツバの表情を盗み見た。
楽しそうに、微笑んだまま。先ほどと同じ三味の音を、軽やかに紡いでいく。
いつしか、自身の笛の音と彼女の三味の音が重なっている。その瞬間が少し快感にも、爽快感にも似た感情を土方に沸きあがらせた。合いの手が入った後、三味線の一人鳴らしが、しばし。軽やかで、細やかに動くその白い手に、土方は目を細めた。
差し込む夕日が、その手をより白く染め上げていた。
視線を上げると、彼女の横顔。透き通る瞳が、実際、眩しいと思った。

すぐに訪れた最後の瞬間。交わって切れた音を、夕凪がさらっていった。

どれだけそうしていただろう。
ゆっくりと、彼女は顔をこちらに向けた。そうして再び微笑む。

「何が、見える。」

ゆっくりと空を指したミツバに問うた土方は、つられてそちらに顔を向けた。

ちょうどその時。少しだけ隠れていた白い夕日が、開け放した縁側から覗いた。
そしてゆっくりと色を赤に染め、再び黄色の雲に隠れた。



十四郎さん。この曲の名前はね、――――




かすかに響く太鼓の音。山笠の掛け声。
いたく懐かしい節。いつか、幼いときに耳にしたそれ。
夏の終わりの匂い。初秋の紅葉の匂い。彼女の、消えそうな笑顔。


遇に、記憶は誘発される。






NEXT