32.


ジンが足を踏み入れた時、すでにその人物は座っていた。
一瞬怪訝そうな顔をよこしたものの、視線はすぐにベルカに移る。
赤い、胸元がぐるりと空いたドレス。まるでこの場には不釣合いな色香をまとった彼女は、向けられた銃口を前に、ゆっくりと口を開いた。


「色々と準備がよろしいようじゃない?」


彼女の目はしかし、銃口ではなく目の前に腰掛けている人物、もといターゲット”A”の翡翠の目をじっと見ている。 ”A”もまた、自分に向けられた銃口には目もくれず、じっと彼女の目を見ている。
しばし、張り裂けるような空気が場を支配する。
ややあって、”A”の手が横にいる部下らしき人物の銃を制する。するとその部下は、全く無駄がない滑らかな動作で構えていた銃を下ろした。
続けてジンも、”A”に向けていた自身のグロックを下げた。

「やっぱりあなたは魅力的ね、アスラン・ザラ」

やれやれといったように、ゆるりとソファに腰掛けたベルカ・ルーベンスは、持っていた煙草に火をつけた。そしてちらりと、”A”と呼ばれる人物、我々のターゲットであるアスラン・ザラの横に立つ、彼の部下を見て微笑む。

「・・・・・よりによって”彼”を部下として引き連れている、なんて」

無表情なアスラン・ザラの隣に立っている部下は、ややあった沈黙の後に笑顔を見せた。
その髪色のように明るい、太陽のような笑顔を。
「74のロンドン列車テロ事件、連合秘密結社の解体、ロゴスメンバーの極秘調査。先の戦中、そして戦後数々の場に於いて不可能と言われた極秘オペレーション、その全てを総括し、指揮官として、そして戦闘員として”私達”を翻弄し続けてきたSIFTのS級工作員」
ジンの目が驚愕で見開かれる。
「ま、さか、」
「そうでしょう?現シュライバー国防委員長の右腕にしてSIFT、S級工作員の・・・ラスティ・マッケンジーさん?」
やられた、というべき表情でベルカが見たアスラン・ザラの隣の少年は、その顔に明るい笑顔から一転した不適な笑みを浮かべて肯定した。


「はじめてですね?こうしてあなたと直接顔を合わせるのは」


ベルカは呆れた顔でラスティを見た。
「地球連合軍事本部のセキュリティネットワーク、通称”海の狼”にアクセスしてコンタクトを試みるなんて。しかもご丁寧に中立国のスカンジナビアからアクセスし、出元を攪乱して・・・・。こんなこと、確かにあなたぐらいしかできない芸当ね」
「いや。アレは考えたのが俺っていうだけで、やったのはこいつですし」
部下のように忠実に従っているにもかかわらず、隣で無表情を貫いているアスランを親しい人物を指すように言ったラスティは、しかし顔に笑顔を浮かべたままで続ける。

「でもこっちも驚きです。まさかロゴスのメンバーである最高クラスの犯罪者が、大西洋連邦の諜報機関の長官だったなんて」

とたんにジンの顔がこわばる。ゆっくりと煙を吐いたベルカの正面でぴくりとも動かないアスランの横。
笑顔のラスティはなおも口を開く。
「かつての合衆国大統領直属の情報機関を受け継いだ、今現在地球上で最も力を持っている大西洋連邦随一の諜報機関。その長官のベルカ・ルーベンスさんが、まさかロゴスのメンバーだなんて。やられたよ。地球上、いやプラントにもわかるヤツはいないだろうなぁ。しかも、」
そこまで行ったラスティの口は、再度向けられた銃口に遮られる。
「貴様・・・!」
「いいのよ、ジン」
「ですがコイツは!」
「そ。おそらくあなた達と散々戦ってきた、憎い男です」
飄々と、しかしその不適な笑顔はけっして崩さず、ラスティは言葉をつなぐ。
「で、こっちとしても、ずっと追ってきたあなたを捕まえたくてたまらないんですけど、」
お互いの心情を推し量るようにラスティとベルカの視線が交錯する。

現在の複雑に利害が絡み合うこの時勢に於いて、数秒前の味方が敵と変化することはよくあることだ。
”味方”と呼べるのはお互いの利害が一致する間のみ。 利害が一致しなくなった瞬間、”味方”は”味方”でなくなり、”敵”となる。
___その逆もしかり、か。
「つまり、」とゆっくり口を開いたのは、今まで一言も口を利かなかった人物。


「自分達の不始末は、自分達でカタをつける。そのために手をとるということだ」


さらりと口にしたその言葉には、底知れぬ重圧がかけられていた。
「その通りよ」 と同調したベルカを見て一瞬目を伏せたアスランは、その冷たい口調でなおも続けた。
「私たちは”反乱分子”を抑えるために、あなた達の力を借りたい」
「ラクス、クライン?」
ゆっくりと笑顔を向けるベルカの声には、場違いな艶やかさ。
一瞬目を細めたアスランが無言で肯定の意を示すと、心得たと言わんばかりに笑みを深くしたベルカが、「私達はジブリールとロゴス」と煙草の煙とともに口に出した。
ロゴスを始末しようとするのが、現ロゴスのメンバーの一人。 確かに成功率は格段に高いな、とラスティが感じたところで、その耳をベルカの声が打つ。
「行っておくけど。はっきり言って私達は、プラントがどうなろうが、ラクス・クラインがどうなろうが、どうでもいいわ」
無表情のまま軽く口笛を吹いたラスティを見、益々笑みを深くしたベルカは、「だってそうでしょ?」と挑発するようにさらりと述べる。 その顔が”あなたたちも、そうなんでしょ?”と言っているかのように、眉が上がる。

”だから、地球に向けて、あんな大きな光線を打ち込もうとしたんでしょ?”
”創造という名の殺人兵器。作ったのは、あなたたち以外にいるとでも?”

ややあって「たしかにそうだ」と返事をしたのはアスランだ。
「・・・・・それで、あなたの目的は?」
その刺すような視線に、ジンがぞくりとしたのも一瞬、
「言ったでしょ?ロゴス殲滅」
というベルカの声が耳を打った。
「あなた達は、あなた達のボスの命令に従ってロゴスを潰してくれればいいの。その手助けとして、”エクステンデット”の情報と”海の狼”の正式コード、それからロゴスメンバーの居場所、親戚、別荘という名の隠れ家。ともかくそれらが入ったコレをあげるわ」
そう言いながら、いつの間にか持ちだした、手のひらほどの小さなディスクをひらひらとさせる。 驚愕で目を見開いたのはラスティとジンで、アスランはその視線をより鋭くしただけだった。
一拍置いて、ラスティが
「多すぎる」
と答えた。
「いくらなんでも情報量が多すぎる。こっちに有利すぎだ。そんなに渡すなら、当然そっちもそれ相応の条件を突きつけてくるんだろうな?」
と挑戦的な笑みを浮かべた。
さすがSIFTのS級工作員だ。その視線と判断力は確かなもの。
ジンもラスティと同様の考えを頭に浮かべていた。まさかベルカさんがそんなに多くの情報量を提供するとは思ってもみなかった。聞かされていなかった事実に驚愕すると同時に、そこまで徹底してロゴスを潰し、あの国を変えようとしているのかという末恐ろしさを横にいる上司に感じていた。

「条件は、2つ」

というベルカの声に、ジンは再び緊張した空気を肌に受けた。
「1つは、エクステンデットを乗せた戦艦”ガーティ・ルー”の保護、そして援護。そしてもう1つは、ガーティ・ルーの乗組員全員の命の保障と、戦後プラントでの国籍の付与、以後は安全の確保」
エクステンデットの情報はくれてやるが、その解体は許さない。 エクステンデットという存在の情報を流すだけで、ロゴス、はたまた大西洋連邦は動揺。頭であるロゴスが始末されれば、その命令を直属で受けている司令部を含めた指揮系統は混乱し支障を来たす、か。
「良く見てるな」
と言ったラスティが、ちらりとアスランのほうへ視線をやる。 心得たようにアスランが、「承諾した」と言って立ち上がった。
「こちらは反乱分子、ラクス・クライン率いるテロリストとカガリ・ユラ・アスハ元オーブ国家元首率いるテロリスト殲滅が最優先だ。それを遮るようであれば、この取引は白紙に戻ると考えてほしい」
「邪魔なんてしないわ」
と言ったベルカの視線は、再度アスランの視線とかち合う。
「ひとつ聞きたいの」
そう言いながら、ベルカはディスクを放ってよこした。 手のひらにも満たない大きさのディスクが、すぅっと透明なテーブルの上を流れる。それを素早く手におさめたラスティが、立ち上げたパソコンでチェックし始める。
それを視界に納めたベルカは、一呼吸置いたのち、
「”デスティニー・プラン”」
とつぶやいた。
一瞬、カタカタとキーボード上を走っていたラスティの手が止まり、アスランの目が見開かれる。
今度は笑みを浮かべず、打って変わって慎重に口を開いたベルカ・ルーベンスは、
「全ての人間を遺伝子によって配分・淘汰する世界。あなた達のボスであるデュランダルは、それが本当の狙い」
「どこでそれを」
「舐めないでほしいわ。こっちは地球で最も力を持つ諜報機関の長官よ」
すぐに切り捨てたベルカの目には、もう笑顔の跡など微塵もなかった。
「でも、あなたたちは違う。デュランダルを肯定してはいない。いいえ、今は肯定して従っているように見せているけれど、実は違う。その先にある結末を見据え、それを受け入れようとしている。じゃないと大西洋連邦付属の諜報機関長官であり、なおかつ敵であるロゴスメンバーである私との接触なんて、リスクが高く危険すぎるマネはしない。違うかしら?」
「それは大西洋連邦諜報機関長官としての意見か?それともロゴスメンバーとしての意見か?」
少しだけ目を伏せてそう言ったアスランの目を離さず、ベルカは即答した。
「個人的な意見よ」
再び、張り詰めた空気が漂う。
未だ動かないラスティのアイスブルーの瞳が、すぅっと冷たく研ぎ澄まされていく。
鋭い視線が交差し、ジンも胸に収めたグロックに手を伸ばそうとした瞬間。










「俺は殺す、か」


低く呟いたその言葉は、目の前のディスプレイに吸い込まれるようにして消えた。
何事かとこちらを振り返った通信士を無視して、ジンは通信ジャックを手に取った。
大きなヘッドホン状のそれは、あちらが手間取っていなければ、数週間前その言葉を発した人物の声を反芻するはずだ。 しばらくの沈黙の後、ブリッジのクルー全員の視線が突き刺さるのを感じたジンは、すぅっと自身の体が冷めていくのを感じた。









「俺は、殺す」

低く、抑揚を落とした声でぽつりとつぶやかれたそれは、紛れも無くターゲット”A”、アスラン・ザラが発した言葉だった。
「英雄。過去、英雄と呼ばれる殺戮者によって、様々な人間が翻弄され、命を落としてきた。しかしそれとは対照的に、いやそれがわかっているからこそ、人々は英雄を求めた」
あるものは自らが英雄になろうとし、それが不可能な者は故意に”作り上げた”。偽者でもなんでもいい。市民が信じた時点でそれは偽者から英雄へと変化する。それがプロパガンダ。 作られた”平和の象徴”、ラクス・クラインが”ミーア・キャンベル”ならば。
「ギルバート・デュランダルによって、新たに作られた”英雄”。それがミネルバだ」
冷静な、いや冷静すぎて背筋が凍るような顔はそのままに、アスランは続ける。隣のラスティの、先ほどとは一転して驚愕した表情が対照的だった。
「だが、英雄は2人もいらない。過去の英雄には、盤上から退場してもらう必要がある」
「だから殺すの」
すくりと立ち上がったベルカが、窓際に寄る。その顔には、いつもの冷たい表情が張り付いていた。 何も言葉を発しないベルカを一瞥して、その場に直立したままのジンが声を荒げる。
「本末転倒だ。デュランダルの言うままに過去の英雄を殺すのか?かつての仲間に打たれた腹いせに殺すっていうのか?どっちにしてもお笑いだな。第一、」
「確かに君の考える通りだ。”英雄”という存在は決して消えない」
自分の発しようとした言葉を言われ、ぐっと口をつぐんだジンはアスランの冷たいままの顔を睨んだ。
消しても消しても、人は常に戦場での英雄を求める。
自分達ではない、自分達にはできないことをやってのける存在。
・・・・希望を、求めて。
その代償として、多くの命が削り取られるという真実を忘れて。
英雄のために、多くの人間が憎みあい、殺しあったという事実を忘却の彼方へ置きやり、そしてまた与えられた平和を貪る。
「それを知っていて、なおも殺すというの」
と、それまでだんまりを通していたベルカの口から、ぽつりと言葉が漏れた。振り返って、再びアスランへ視線を向ける。
「世界を敵に回すわよ。それにあなたの場合・・・・過去さえもね」
それでもいいの?と視線が困惑している。
冷静な視線でベルカを一瞥したアスランは、最後の最後になって、ふっと笑みを浮かべた。


「今まで・・・世界と過去が俺の味方だったことなんてないさ」


自嘲的につぶやかれたそれは、この会合で唯一、アスラン・ザラという人間がこぼした本音だろう。
ジンは本能的にそう悟った。
世界は彼を、見放したのだ。
そう。過去も今も尚、仲間と呼ばれた存在に切り捨てられ、捨てられてしまった彼。
敵を多く見すぎてきた彼にとって、敵が多すぎる彼にとって、敵の数が少々増えるというリスクは、もう既にリスクですらないのだろう。
「確認した」
いつの間にか動いていた手を止め、おもむろにラスティが立ち上がる。
「確かにこのディスク、本物らしいな」
「改めて言う必要はないと思うけど」と煙草を手に口を開いたベルカが、「そのディスク、セキュリティは強固なのが付いてるわ。あなたのそのパソコン以外で立ち上げた場合、」
「舐めないでほしいね。俺はSIFTの工作員だぜ?」
と、ラスティが不適な笑顔を向けたときには、アスラン・ザラは、もうすでにドア口まで来ていた。
「アスラン・ザラ。段取りはそちらに一切任せるから」
見慣れた妖艶な笑顔を見せたベルカが、「お送りして」と言ったのを最後に、この極秘会合は終わった。










すっと体温が下がったのとほぼ同時に、自身の鼓膜をその声が打った。
「来た。”A”だ」
ジンはそう呟くや否や、隣の通信士よりも素早くディスプレイのスイッチを大画面に切り替えた。
大画面に映ったのは、数週間前に見た端正な顔立ち。




『こちらザフト軍特務隊、アスラン・ザラ』




英雄が盤上に揃ったとき、舞台の幕がやっと開く。






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